迎え火を焚いてくれる家族がいない魂はずっとあの世にいて
この世に帰って来ることが出来ないのだろうか。
母方のまるで無縁仏のようになってしまった魂を想う。
母が最後に迎え火を焚いたのはいったいいつのことだったのか。
今はもう誰も住んでいない家の仏壇に並ぶ位牌が目に浮かぶ。
昨夜は亡き姑さんの夢を見た。
なぜか泣きながら私の名を呼んでいて胸が苦しくなった。
手を握りしめてみると思いがけないほどに温かく柔らかなのである。
何か伝えたいことがあったのかもしれないが問うことが出来ない。
心の中で「ああお盆なのだな」と呟いていた。
夕方、親族が集まり義妹宅で迎え火を焚く。
本来ならば長男である夫が仏さんを祀らなければいけないのだが
ずっと義妹任せにしていて心苦しさもあった。
もし夫や私が亡くなった場合はどうなるのだろう。
新たに仏壇を構えたとしても誰が祀ってくれるのだろうか。
息子や娘に負担をかけたくない気持ちが大きい。
それは先日も書いたお墓の件と同じ気持ちである。
毎年のことだが今年も義妹が小宴の準備をしてくれていた。
我が家と義弟一家が手ぶらで押しかけて行く。
賑やかなのが好きだった舅も姑さんもきっと喜んでくれただろう。
あやちゃんだけは行かなかった。例の如くで「めんどくさい」と言う。
もう強制は出来なくなった。お盆だからと特別のことにも出来ない。
ずっと先のこと、いやもしかしたら来年のことかもしれない。
迎え火を焚いてもらったら私は何処から帰って来るのだろう。
その時あやちゃんは手を合わせて迎えてくれるのだろうか。
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