距離感と厭世観
今日も昨日と同じようにメールのやり取り。
短いものばかりで40通を超えたから、
チャットのようなもの。

去年の今頃まで同じようなことをしていたのを
思い出した。
前は、彼専用のフォルダを作っていた。
数ヶ月前に、電話でケンカした時に、フォルダごと
捨てたので、それ以降のものは、他の友人と同じ
フォルダに振り分けていた。

楽しい話題が続くわけでなく
お互いの今の環境・状況から少し距離を置いた
会話のようなメールだった。

君から電話が入り、私の第一候補だった物件に
既に申し込みがあったことを聞いた。
それから一気に気分が落ち込み、彼に出すメールも
ひどいものになっていった。

近い過去のお互い様気分が消え、遠い過去の始まりから
振り返ってしまった。
初めてだと思うが、
 ○○のせいで、私の人生はこうなってしまった。
と書いた。
今までは意識して「せいで」と言う言葉を避けていた。
誰にどう言われようと、二人の間に起こったことだから
どちらのせいでもなく、
どう進もうと彼だけに責任を押し付けないつもりだったのに。

きっと少し前に、周囲の雑音に負けてしまって
自分の意志を押し殺したと聞いて、
あぁ、またか。
それなら、私が待ったのはよくなかった。
もっと強く押せばよかったと感じたからだ。

君が私の生命線なのは確かだ。
私を思って、実際に私のために動いてくれる
人は、君以外にいない。

私が君といるのは、愛情のなくなった夫婦が、
情や惰性や経済的理由で別れないのと一緒かもしれない。
ただ、私はいつもそれを卑怯だと思っている。
だから今回の移転で、何度も別れを告げた。
別れようではなく、一人で行って下さいだったが。

私はどうするのかと、そのたびに問われ
答えはいつも同じだった。
帰って、一人になって、何もせず、終わりを待つ。

今日、彼にも聞かれた。
 なくなったらどうするの?
 何もしない、おしまいにする。

こんな答えを聞いて、じゃさよならだねと
君が言うはずがない。
それをわかっていながら、嘘をつく気になれない。
君のしてくれそうな返事を期待して
わざと拗ねてみせているわけではない。
そんな駆け引きをする気はない。

  生きていればいいことあるよ。
  じゃ、帰るね

これが、彼の今日最後のメール。
暗くなったメールに、とことん付き合う義理はない。
そう思い直して、
仕事中に重いメールしてごめんねと謝った。
付き合っていた頃から、彼からはこんな調子のメールが
多かったけど、それに対して、今の私が怒れる立場じゃない。

いいことあるよ?
いいことなんか何もない
それが私の本音で、ずっと付き纏って離れない気持ち。
そう彼に言わないのは、二人の今の距離感。

2004年12月03日(金)

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