僕と君と世界の距離を

2004年05月17日(月) ピーターパン

ネタバレ…というか、
ピーターパンを全然知らない人っているのかしらん。


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「ピーターパン」は小さい頃
好きだったお話のひとつでした。

自分も空を飛んだり、海賊と戦ったり、
人魚や妖精を見たりしたいと思っていました。

その中で一番魅力的だったのは
やはりネバーランドが「大人がいない」
国であることだったのじゃないでしょうか。
自分達で「ルール」を決めていいということに
とても憧れたし、わくわくした。

フックは一応大人ですがルールを作る存在じゃないし
ピーターや迷子たちに何かをさせることはできない。
何よりあの人…全然大人(げ)ない…。


そんなわくわくの詰まった「ピーターパン」
の映画があるっつったらやっぱ観に行くベ〜
という軽い気持ちで観に行ったらもう泣いて泣いて
仕方がなかった。最初はなんかこうぐっときつつも、
いや泣いたら負けだ(なんとなく)と我慢してたんですが
もう最後の方は負けで結構!とばかりにダーダー泣いてました。


ピーターとウェンディの
関係が相当せつなくて苦しい。

どんなに好きでも、どうにもならない。
ピーターは母親を捨てた子どもで、
大人になることを全身全霊魂の限りで拒否したから。

全部捨てるから手に入るもの。
そういうものは、ある。

それは良いとか悪いとかそういう判断を
するべきものでは無い気がします。
何を犠牲にして何を得るかは人それぞれ違っていて、
それに誰かが口をはさむことはできないと思う…。

自分で決めなくちゃいけないことが誰にでもある。

そしてウェンディは捨てないことを選んだ。決めた。
なら…どんなに好きでも、
ピーターと一緒にいることはできない。

それが理解できるから、哀しい。
好きという想いだけではダメだということを
知っているから哀しい。誰も悪くないから哀しい。

それを思うと涙がいっぱい出てきました。
クロスする想いはもう二度と交われないけど
それでも2人は出会えて良かったと
お互い思っていて、だからああ良かった、
そう思えるならそこに希望があるなあと思いました。


そして今回すごく思ったのが
ピーターパンの世界が私にとって
昔と全然違うものになってしまったということです。

それは私が完全に大人になってしまい、
もうネバーランドに思いを馳せることがなく、
あの国を内から楽しむことができなくなって
しまったんだなあ、という喪失の思いなんだと思います。

だって私はもうルールを自分で決めてよくなったし、
そのルールの曲げ方や破り方もうまくなった(いばれません)
他人の為に自分の自由を我慢することも必要で、
それは…それも愛です。それは犠牲なんかじゃないわけです。

私はそうなったことを全然後悔してないし
子どもだった時見えてなかったものを知ることが
できてむしろ幸せは増えているわけですが、
あーでも小さい頃本当にキラキラしてたあの国が、
と思うとなんだかせつない。
いやもう、誰にでも子ども時代があるから子どもが生まれる限り
大人がいる限りあの国はずぅっと輝いて、続いていくんだという
ことはわかっているんだけど「私」はもう戻れないから
それは「理屈でなくちょっと寂しい」という感情です。

でもそれでもわくわくしました。外側からでも。
子どもみたいにまっすぐにキラキラした思いではなくても。
私の中の小さい手が、ちゃんとあのわくわくを覚えているから。



あとすごい蛇足ですがピーター役の子は
小橋健児に似てませんか…(ほんとに蛇足)


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かい [MAIL]

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