僕と君と世界の距離を

2009年09月17日(木) 執着するということ

その恐ろしさを知っています。

それに囚われてしまうと、
自分が本当に望んでいるものがみえなくなる。

どんどんゆがんで醜くなっていく。

気持ちも、身体も。

だから解放する。
執着していることを受け入れて、
その醜さを受け入れて、
自分をきちんと見つめる。

結構難しいことなんだろうなって思う。

「なんでちゃん」がいる。

なんでこう言ってくれないの?
なんで見つけてくれないの?
なんで愛してくれないの?

なんでなんでなんで。

誰かに期待ばかりする。
それは誰かのせいにしてるのと同義です。
自分の動けないのを誰かのせいにする。
夢を諦める。生きづらさ。
それを誰のせいにする。

すごく簡単にできてしまいます。
自分が悪いわけじゃないと思うのは。

そんな自分が好きか?と問いかける。
私は好きになれないな、と思う。
みんなそうだと思う。

自分で自分を好きになれないと、
ヒトにも自分を好きになってもらえない。

すごく単純で、言葉にすると
そんなこと誰だって知ってるって思うようなこと。

でも意外と難しいんだろうな。


いま、執着で心おぼれている人がいます。
その毒に当てられて、ちょっとしんどいです。
せっかくかわいい人なのにこわい。
(かわいくない女の子なんていないという信条)

内面の毒が、外側にもこぼれてる気がする。
救い上げれるか、というと微妙です。

誰も彼女を救えないだろうと。
彼女を救うのは自分自身です。
頑張って。頑張って欲しい。

いつも、いつも思うのは
自分だけが、自分を救うのです。
自分だけが、自分を救えるのです。
感謝は周りに。友だちに。両親に。会社のヒトに。
生きていることに。


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