その恐ろしさを知っています。
それに囚われてしまうと、 自分が本当に望んでいるものがみえなくなる。
どんどんゆがんで醜くなっていく。
気持ちも、身体も。
だから解放する。 執着していることを受け入れて、 その醜さを受け入れて、 自分をきちんと見つめる。
結構難しいことなんだろうなって思う。
「なんでちゃん」がいる。
なんでこう言ってくれないの? なんで見つけてくれないの? なんで愛してくれないの?
なんでなんでなんで。
誰かに期待ばかりする。 それは誰かのせいにしてるのと同義です。 自分の動けないのを誰かのせいにする。 夢を諦める。生きづらさ。 それを誰のせいにする。
すごく簡単にできてしまいます。 自分が悪いわけじゃないと思うのは。
そんな自分が好きか?と問いかける。 私は好きになれないな、と思う。 みんなそうだと思う。
自分で自分を好きになれないと、 ヒトにも自分を好きになってもらえない。
すごく単純で、言葉にすると そんなこと誰だって知ってるって思うようなこと。
でも意外と難しいんだろうな。
いま、執着で心おぼれている人がいます。 その毒に当てられて、ちょっとしんどいです。 せっかくかわいい人なのにこわい。 (かわいくない女の子なんていないという信条)
内面の毒が、外側にもこぼれてる気がする。 救い上げれるか、というと微妙です。
誰も彼女を救えないだろうと。 彼女を救うのは自分自身です。 頑張って。頑張って欲しい。
いつも、いつも思うのは 自分だけが、自分を救うのです。 自分だけが、自分を救えるのです。 感謝は周りに。友だちに。両親に。会社のヒトに。 生きていることに。
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