月光下のわたしを見て。 - 2004年08月01日(日) 戸川純て投げやりなのか? --- 今日は涼しかった。ほんと。 ここのところの浴衣生活の調子に乗って、 今日も浴衣で。 今回は花火ではありませんよ。 リクエストにお応えして(?)、浴衣で飲みにいったのです。 お互い、皮膚の裏側まで見たような気のする相手なので、 特に何を話す訳でもないのだけど、 やはり会えるのはものすごく嬉しい。 ちょっと前まで毎日のように顔を合わせていた相手だから 会うのは嬉しいと言うより、顔を見て安心する、というか。 不思議なのは、そういう相手に対して、 何故か「晴れ姿」みたいなものってどうしても見せたくなるのです。 別に浴衣は大した晴れ姿ではないけれども、 例えばきちんとお化粧して会ったり、新しい洋服を着て会いたかったり。 私は必ず、親が上京してくる時は3日前から洋服を選び、 アイシャドーの色と肌の質感を決めておきます。 新しい洋服がない時は、普段来ている服をなんとかコーディネートして 真新しい雰囲気にさせます。 例えば親だったら、それまで毎日一緒に暮らしていた訳でしょ。 すっぴんも寝顔も全て、毎日お互いに見ていて、 何かいまさら自分のどこをどう見せても何も変わらないし、 期待させるものも失望させるものもない。 それなのに離れて暮らしはじめた途端に、 自分の晴れの姿を見せたくなる。 小学校や高校の同窓会にも、近いものを感じるかもしれません。 毎日会ってて鼻たらした顔見てたりジャージ姿とか見てたのに、 離れて生活して、さあ、会いましょうってなった瞬間に、 何故か綺麗な自分を見せたくなる。 「ケ」(日常)が、ある日突然に「ハレ」(晴れ)になってしまうこと。 何かランクが上がる感じ。 ランクが上がるというか、大切だって事を再認識するのかな。 特に親とか、毎日会っていたような人には、 「私だってこんなに綺麗になれるんだから!」ってものを 見せたいのかもしれません。 西新宿の夜は綺麗でした。 月が明るくて、雲が速くて、涼しくて。 ちょっとした、小旅行。 ...
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