ぶらんこ
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『出汁』と書いて『だし』と読む。 デヴィ夫人はこれを「でじる」と読み、「それだけは言って欲しくなかった、」と言われていたが、わたしも心の中でそう読んでいた。笑
うちは、鰹節といりこで、だしをとっている。 鰹節は、母が遊びに来るたびに島から大量に持ってきてくれるので、買ったことがない。 ただで貰えるものだからケチケチせず、思いきり使っている。 いりこは去年、ある催し物でいただいた、鰯(イワシ)を粉末にしている自然食品。 これを、鰹節でとっただしに小さじ一杯くらい加える。 そうすると、本当に、ものすごぉ〜く、美味しくなる。 ふぅ〜 しあわせ。。。って感じ。笑
ふんだんに鰹節を使えるようになってからは、市販の顆粒だしは便利だけれど、なんとなく抵抗もあって、ほとんど使わなくなった。 (もう買わなくなったので使えない、ということもあるのだけれど。) 鰹節でだしをとるのは手間がかかることなのかもしれないが、たいした手間ではない、と最近思うようになった。 たぶん時間に余裕があるからなのかもしれない。でも、気持ちの持ちようかな、という気もする。 だいたいに「鰹節」と言っても、ちゃんと削られたものだし。
昔(まだわたしが幼かった頃)は、本モノの(?)鰹節を1本手渡され、「削って。」と言われたものだ。 我が家には、今は懐かしい木で出来た鰹節削り器(というのだろうか?)があった。 この作業は、ときに楽しく、ときにうらめしいものだった。 特に、もう小さくなった鰹節なんか堅いし持ちにくいしで、削りにくくてしょうがない。 もう充分だろうと思ってそっと小箱を引き出すと、たいして入ってなかったりして、「まだまだ全然、足りん!」などと言われたりして。笑
今では「花かつお」と書かれたパックの削り節を使っているのだから、まったくもって楽チンだなぁーと思う。
昔は、どの家にも鰹節削り器があったのだろうけれど、今は骨董品のようなものかもしれない。 ずっと以前のことだが、『通販生活』でどこかの職人さんが作る鰹節削り器が紹介されていた。 それも決して、安くはなかった。かなり高かった、と言っても良いくらいだ。 素朴な、昔ながらの方法は、今では「贅沢」となってしまったらしい。 『さぁ、削りたての贅沢をご家庭で味わえます!』
便利なものはどんどん求められ、安くなる。 そうでないものは需要が少ないので、高くなる。 不便をお金で買う、贅沢。
うちには一応、鰹節削り器がある。(かの職人の『名器』ではなく) あるのだけれど、使ってはいない。台所の戸棚にひっそりとしまわれている。 時々それを目にすると、鰹節を削っていた幼いときのことを思い出す。 西日の射す台所で、しゃんしゃんと無心に鰹節を滑らせた。 湯気をたてる鍋。姉の後姿。水屋に並べられた器たち。
なんともノスタルジックな光景なのだけれど、ついつい笑みがこぼれてしまうとっても贅沢な思い出。。。笑
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