ぶらんこ
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2005年01月28日(金) 贅沢

『出汁』と書いて『だし』と読む。
デヴィ夫人はこれを「でじる」と読み、「それだけは言って欲しくなかった、」と言われていたが、わたしも心の中でそう読んでいた。笑


うちは、鰹節といりこで、だしをとっている。
鰹節は、母が遊びに来るたびに島から大量に持ってきてくれるので、買ったことがない。
ただで貰えるものだからケチケチせず、思いきり使っている。
いりこは去年、ある催し物でいただいた、鰯(イワシ)を粉末にしている自然食品。
これを、鰹節でとっただしに小さじ一杯くらい加える。
そうすると、本当に、ものすごぉ〜く、美味しくなる。
ふぅ〜 しあわせ。。。って感じ。笑


ふんだんに鰹節を使えるようになってからは、市販の顆粒だしは便利だけれど、なんとなく抵抗もあって、ほとんど使わなくなった。
(もう買わなくなったので使えない、ということもあるのだけれど。)
鰹節でだしをとるのは手間がかかることなのかもしれないが、たいした手間ではない、と最近思うようになった。
たぶん時間に余裕があるからなのかもしれない。でも、気持ちの持ちようかな、という気もする。
だいたいに「鰹節」と言っても、ちゃんと削られたものだし。


昔(まだわたしが幼かった頃)は、本モノの(?)鰹節を1本手渡され、「削って。」と言われたものだ。
我が家には、今は懐かしい木で出来た鰹節削り器(というのだろうか?)があった。
この作業は、ときに楽しく、ときにうらめしいものだった。
特に、もう小さくなった鰹節なんか堅いし持ちにくいしで、削りにくくてしょうがない。
もう充分だろうと思ってそっと小箱を引き出すと、たいして入ってなかったりして、「まだまだ全然、足りん!」などと言われたりして。笑

今では「花かつお」と書かれたパックの削り節を使っているのだから、まったくもって楽チンだなぁーと思う。


昔は、どの家にも鰹節削り器があったのだろうけれど、今は骨董品のようなものかもしれない。
ずっと以前のことだが、『通販生活』でどこかの職人さんが作る鰹節削り器が紹介されていた。
それも決して、安くはなかった。かなり高かった、と言っても良いくらいだ。
素朴な、昔ながらの方法は、今では「贅沢」となってしまったらしい。
『さぁ、削りたての贅沢をご家庭で味わえます!』


便利なものはどんどん求められ、安くなる。
そうでないものは需要が少ないので、高くなる。
不便をお金で買う、贅沢。


うちには一応、鰹節削り器がある。(かの職人の『名器』ではなく)
あるのだけれど、使ってはいない。台所の戸棚にひっそりとしまわれている。
時々それを目にすると、鰹節を削っていた幼いときのことを思い出す。
西日の射す台所で、しゃんしゃんと無心に鰹節を滑らせた。
湯気をたてる鍋。姉の後姿。水屋に並べられた器たち。

なんともノスタルジックな光景なのだけれど、ついつい笑みがこぼれてしまうとっても贅沢な思い出。。。笑



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