ぶらんこ
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2005年02月01日(火) 居場所

先日、海岸線をずっと走った。
寒波が近づいていたせいか、天候のわりに、海は時化ていた。
強い潮風をすぐそこに感じるほどに、海面は白くうねっていた。
やっぱり海の見えるところっていいなぁ・・と、心から思う。
朝に夕に、陽に照らされた海を、風の見えそうなその海面を見る。
雲が映り、雨が走ってくる。
浜に下り、波打ち際を歩く。
流木を拾って家に持ち帰る。
石ころに絵を描く。拾い集めた貝殻を洗って飾る。
あさひの昇るところを見ながら食事する。(出来るなら東側がいい)

そんな場所で暮らせたらどんなに素敵だろう、と思いをはせる。
でも、台風が来るたびにわくわくもしてられないかな、と思う。
車だってすぐ錆ついちゃうだろうな。
それに・・・津波が来たら家はあっという間に流されてしまうんだろうなぁ、、、とも、思う。


時々、自分の居場所というものについて、ぼんやりとおもうことがある。


島は土地が少ない(山が多い)ために、住むには案外、お金がかかる。
それでも島の中心地から離れた、いわゆる不便な場所は、比較的安いらしい。
ちいさな集落の、そこからもまた離れた場所などは、島特有の人付き合いからも若干、距離を置ける。
そんな場所になら、住んでみても良いかも。。。
わたしがそんなことを口にしたとき、母はこう言った。
「人と離れては暮らせんよ」

いつまでも健康なわけじゃない。
歩いて行けるところにお店があるとか、誰かとすぐに会えるとか、そういうことがすごく大事。
それは、歳をとると尚のこと。
ひとり遠く離れて暮らして、若いうちは、健康なうちは、それを自由だと感じて楽しめるだろう。
どこへ行くにも、車があればなんとでもなる。
でも、いつまでも車を運転できるわけじゃぁない。
何もかもひとりでは出来なくなるだろう、きっと、いつか。


「そばに人が居らんと寂しいよね」
これは、新潟中越地震被災者である、あるお婆さんの言葉。


自分の居場所について、ぼんやりとおもうことがある。

地に足をつける、ということ。
身軽である、ということ。
生活を楽しむこと。
生きること。
生きることを、感じること。

自分の居場所を、自分自身を祝福すること。


marcellino |mail