ぶらんこ
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2005年04月23日(土) 家庭訪問

 "We love rain!"
  夕方から絵を描いて遊んだ。
 
  ちまちまちまちま描いてるうちに
  だんだん眼がチカチカチカチカ・・・
  雨の雫がぐるぐるまわりながら
  川になって流れてった感じ。



『家庭訪問』
学校の教師が、児童・生徒の家庭環境を理解し、家族と密接な連絡を保って、児童・生徒の教育に効果をあげるためにその家庭を訪問すること。

こころの学校の家庭訪問があった。
すっかり忘れていた。母子ともに初体験。内心、家庭訪問なんてまだやっていたのかーーーと思ったり。。。

学校教育における「家庭訪問」というシステムは日本独自のものらしい。
確かにアメリカではなかったし、夫にこのことを説明するのにちょっと手間取った。
いつ頃から始まったのかな?よくわからないけれど。
先に挙げた家庭訪問の主旨は理解できる。素晴らしいことだと思う。でも、それってどうなの?という気持ちもある。
なぜって、親は招待するつもりもなかったのに先生が家に来るわけでしょう。
ましてや「訪問してもよろしいですか?」と聞かれたわけでもない。
もちろん訪問するときのスケジュール調整はある。こちらの意向も聞いてくれた。
でも、学校側が「家庭訪問」という形を提示した時点で、「訪問」は暗黙の了解となり、拒否したくとも出来ないような、そんな感じじゃないかなぁ。
殆ど強制的なもの・・・かつ、流れ作業的な。
それは如何なものか、と。。。
教師側も大変だろうなぁ、と思う。ものの15分〜20分程度じゃ、相互理解が深まるどころか時間の割り振りで頭がいっぱいだろう。

なーんてことを例えばPTAなんかで発言したら目立つだろうなぁ。。。。

でも、検索していてこんな言葉を見つけた。
『全国的に見てみると、保護者の価値観の多様化やプライベートゾーンの広がり,また社会の変化などの影響でこの家庭訪問が大きく変化しています。
それは,家庭訪問をとりやめ地域訪問に切り替えたり,「家庭訪問」「個人面談」「グループ面談」から保護者が選択するといった学校もあります。
さらに,後者については家庭訪問を希望した者は,1人というクラスもあったと言います。』
これは、和歌山県教育研修センターの機関紙かなにかでの巻頭言。平成13年となっている。→こちら

学校の家庭訪問を受ける直前に、世のお母さんがたは大掃除をする。たぶん。
そしてシミュレーション。お茶かな。珈琲でもいいかな。お菓子は出したほうが良いのか? などなど。
訪問する教師も大変だけれど、迎える親も大変なのだ。年に一度のイベント。この日を乗り切るために。


わたしは先週から「訪問看護」の仕事を始めた。
医療保険とか介護保険とか個人情報保護法とか法人とか、いろいろいろいろなことが絡まりあって、「訪問」という形が出来る。
もちろん、患者さんやご家族は「訪問」を希望してくださっている。
病院や施設における医療或いは介護を「在宅」でやっていきたい、と希望されて、「訪問」というサービスを受けている。
それでも、常に忘れてはならないことがある、と思う。
それはイベントでもなんでもなく、「家庭」という「日常」のなかに、わたしたち看護師が「入っていく」ということ。
そのことをいつも謙虚な気持ちで心に留めておかなければ・・・と思う。おなじ家庭訪問でも、そのところが全然違う。




ところで、こころの先生の訪問は3時半頃から5時頃まで行われた。
玄関では座ってお迎えするべきなのかな・・?などと馬鹿げたことを考えながら待っていたのだけれど、そんなことはもちろんなく。
こころも一緒に3人でいろんな話が出来て、非常に貴重な時間を持てたと思う。
こころの先生はひとことで言うととっても「柔和」なひと。そして、心のなかが自由なひと。
わたしはお会いして、大好き!!になった。
こころ自身も今回の訪問で先生への印象が変わったみたい。
良かったよかった。。。。



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