ぶらんこ
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稲刈りをした。 生まれて初めての経験。 あっ という間に過ぎた 素晴らしい一日だった。
写真は、刈った稲の干し場を作る「お父さん」。 メチャクチャかっこいい。ますます大好きになりました!
黄金色に輝く田はとてもとても、美しい。 青空の下で、垂れた稲穂は静かに刈り入れのときを待っているように見える。 実りの秋。 こんな風景を見られるなんて、訪問看護という仕事って本当に素晴らしい!と、運転しながらにっこりしてしまう。 それから、自分の田でもないのに(田のことをまったく知らないくせに)、稲刈りはいつなんだろう・・・と、気になって仕方がなかった。
稲がすごく強いものなんだということを、わたしは今日、初めて知った。 刈られた稲は青いビニールの紐で束ねられ、干しやすいように並べられている。 束ねるまでは、稲刈り機が行ってくれるらしい。(知らなかった!) そして、並べるのは人の手で行われる。 また、田の端っこは機械では出来ないので、手(鎌)で刈る。 手で刈った稲は、ビニール紐ではなく、藁で束ねられる。 そんな稲の束たちを手作業で干す。 根っこの部分を真ん中あたりからねじり、前に半分、後ろに半分として、竹竿に干していく。
やり方を教わって、おそるおそる始めた。 最初はおっかなびっくり。こんなやり方で、お米がマズくなりやしないか、と心配したりして。 でもだんだん慣れてくると、なんとなく大胆になってくる。 なぜって、無造作に行っても、稲はしっかりと付いているから。 それに、投げたり放ったりしても、大丈夫。 馬鹿みたいだけれど、そんなことに感心してしまう。 そんな強い稲たちを触っていると、なぜだか嬉しくなってしまう。 この一粒一粒がお米になる、とか、そういった直接的なイメージではなく、もっと大きな、心の底から溢れてくる何かがある。 それは感謝の気持ちであり、喜びであり。
今日初めて稲に触れるわたしがそうなのだから、ずっと世話をしてきた彼は、かわいくて愛しくてたまらないだろうなぁ・・・と心から思う。 一粒一粒が、彼の子であり、生命であるのだろうなぁ・・・と、思う。
「刈り入れのとき」という言葉が好きだ。 ゆったりと深呼吸したくなる。 それでいて、どこか背筋をしゃんと伸ばしたくなるような、これまでの自分を振り返るような気持ちにもなる。
今日、「刈り入れ」というものにほんの少し触れたような気がした。 気が遠くなるような準備のときを経てやってくる「刈り入れのとき」。 草を取ったり鳥を追い払ったりもぐらよけを立てたり。 雨の日があり、風の強い日があり、日照りの日が続いたり。 それらすべてが必要なことだった、と、受け入れるような、大きな心。 自然のなすことに、そのまま心を沿える、ということ。 訪問先でぼんやりと感じていた、田を持つ農家の方々の「おおらかさ」をあらためておもう。 稲を干しながら、わたしもそうありたいなぁ・・・と、祈るような気持ちになる。
「ぼち、ぼち、やってくださいよー」 彼のにこやかな笑顔が、心に深く優しく灯っている。
真夏日となった、暑い一日だった。 日焼け止めを塗ったつもりだったのに、頬が火照ってチリチリする。 それでも気分爽快。 こんな経験が出来たことを心から嬉しく思う。 次はこころも連れて行きたい。
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