ぶらんこ
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2005年10月15日(土) 点と線

訪問看護の仕事を始めた頃は、患者さんの家を覚えるのに必死だった。
ポケットにはいつもメモ帳を入れておき、同行のナースの隣で紙に道筋を書いた。
バイパス直進、ゴルフ練習場手前左折、下り坂、橋を渡って道なりに直進、郵便局パス、二つ目の筋を右折、両側は畑・・・などなど。
とにかく地理がわからない。その上わたしは方向音痴。
地名を言われてもピンと来ないのだから、わたしなりの方法で覚えていくしかなかった。

いちばん最初にひとりで訪問に行ったとき、(メモ通りに進んだにも関わらず)道に迷った。
途中で、ん? と思ったのだけれど、拡がる畑や牛舎、豚舎、サイロがある(メモに書いてある通りだった)から大丈夫なはず。
が・・・違ってた。
まったく見当違いなところを走っていた。どおりで辿り着かないワケだ。
結局人に聞きながらなんとか患者さんのお宅へ訪問出来たのだが、帰り道、どこでどう間違ったのかがわかった。
どうやら一箇所、右折しなければならないところを左折したらしい。
たぶん、道なりにまっすぐだと感じて、書き留めなかったのだろう。
(うっかり見逃してしまう程の小さな道を、わざわざ左折するわたしもわたしだ。。。)

そのことを教訓に、小さな筋でもなんでもすべて書き留めるようにした。
おかげで、どんな遠い辺鄙なところでも、なんとかひとりで行けるようになった。
地元人しか知らない抜け道のようなものもそれなりに覚えてきた。

知った道。店。畑。橋。標識。ゴミ置き場。
今まではただの目印でしかなかったものが、馴染みのあるものへと変わってきた。
馴染むって、あったかいものなんだなぁ、と思う。
経験や記憶といったものが熱を持つのかなぁ?
その熱は自分のなかから発せられるのかそれともそのモノ自身が持つものなのか?(ややこしい、)

点と点が繋がって線になる。
少しずつではあるけれど、わたしなりの地図が出来てきたように思う。
そこでは親しい人たちが暮らしている。まだ知らないけれど、出会うかもしれない人たちが暮らしている。
それぞれの暮らし。それぞれの苦労。それぞれのしあわせ。
それはあったかいものだ。繋がった線がまぁるい輪になるように。

時々、ふっと空を飛んでいるような気分になることがある。
空のうえから、この鹿屋の町を眺めているような感じ。妄想だけど。
それにしても鹿屋は広い。そのうえ、我が訪問看護ステーションのエリアは大隅半島全域と言っても良いくらいに、広い。
もっと高く飛ばなきゃならないなー。
同時に、細部(点)をもっと知らなくちゃいけないなー。

そうやってどんどん高く飛んで、地球も眺められるようになったら、そしたらどんな気分だろう。。。
今でさえ、なんだかあったかくて嬉しくてにこにこしてしまう感じなのだから、それはもう最高に素敵な心地だろうなぁ。

                                                                                                                                                             Happy Anniversary!






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