ぶらんこ
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中学の頃の同窓と久しぶりに会った。 たぶん16年ぶりくらい。 彼と再会して、不思議な感覚を味わった。 懐かしいというよりももっとしっくりくる何か。 隔たりを感じさせない何か。
彼とは特別に親しかったわけではなかったかもしれない。でも、仲は良かったと思う。 会ってみて、あらためて確信した。 あの頃わたしたちは仲良しだった。笑
彼は、面白くて賢くて面倒見の良い奴だった。 目がでかくて睫毛がバサバサと長い。髪の毛は根元からまっすぐ立っていて、髪が伸びると坊主頭はその形を保ったまま拡大していった。 でも、わたしの記憶の核を成すのは、彼がとても穏やかで控えめで優しい、ということ。 彼は誰からも好かれていた。
わたしは中学の頃の自分をあまりよく覚えていない。 抑圧されていたからだと思う。 思う存分、身体を動かすことが出来なかったから、他のみんなとは何かが欠落している、という感覚が今もある。 それなりに楽しかっただろうし(いや、実に楽しかった筈だ)、笑ってもいた。 でも、他の人たちからほとばしるような、はじけるほどの情熱や喜びがなかった。 少なくとも、そう感じて過ごしていた。 だから、空想の世界へ翼を広げることが多々あった。 そこでわたしは自由に走りまわり、いろんなことをする。 ストップをかける医者も教師も誰もいない。
だからかもしれない。 昨夜、彼はこんなことを言った。 「あなたはあの頃、ひとりでいることを好むというか、人と一緒じゃないというか、独特だったよね」 今日になって彼の言葉をこころに伝えると「えっ、もしかしてマミィって『ぼっち』だったの???」と、のたまう。 いや。それがね、その後にこう言われたのだよ。 「だけどもそれはけして『仲間はずれ』とか『ひとりっきり』とかじゃなくて、なんちゅうか自分の世界を見てたよな。きらきらした目で。」
へぇーーーーっ!! という感じ。 いやはや実に驚いた。 そうか。そうか。そうだったのか。というか、そういう風に見てた人がいたのか。
なんだかとても愛しくなった。 「ぼっち」だと感じながらも夢見る少女だったあの頃の自分に。 それを見てちっとだけ嬉しく感じていた君に。
あの頃わたしはすこやかにしているみんなが羨ましかったし、運動の出来ない自分がみんなよりも不幸だと感じていた。 同じラインに立っていない自分が悲しかった。これからどうなるんだろうと不安もあった。 そんな自分自身を前面に出すことをしなかったのは、どうしようもないことだと思っていたのと、同情されたくなかったからだと思う。 「明るいわたし」を演出することで、なんとか自分を保っていた。 でも、きっと、自分のなかの何かは「希望」の光を見ていたのだろう、自分自身では無意識であっても。 どうしようもない、とあきらめるよう言い聞かせていたつもりだったけれど、わたしの魂はそうじゃなかったのかも。 彼と話をしているうちに、そう思えてきた。 そっかー。あんなに辛かったけれど、本当のほんとうは、大丈夫だったんだなぁー。 なんだか、あの頃のわたしに何か声をかけてあげたくなった。
あの頃わたしたちは誰もがお互いを名前で呼び合っていた。 それは40歳になった今も変わらない。 あの独特のイントネーションで名前を呼ばれると、意識はワープしてあの頃に戻っていく。 時間というものは一方向に流れるわけじゃないんだなぁ、と心から思う。
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