ぶらんこ
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2006年06月29日(木) ぼっち

中学の頃の同窓と久しぶりに会った。
たぶん16年ぶりくらい。
彼と再会して、不思議な感覚を味わった。
懐かしいというよりももっとしっくりくる何か。
隔たりを感じさせない何か。


彼とは特別に親しかったわけではなかったかもしれない。でも、仲は良かったと思う。
会ってみて、あらためて確信した。
あの頃わたしたちは仲良しだった。笑

彼は、面白くて賢くて面倒見の良い奴だった。
目がでかくて睫毛がバサバサと長い。髪の毛は根元からまっすぐ立っていて、髪が伸びると坊主頭はその形を保ったまま拡大していった。
でも、わたしの記憶の核を成すのは、彼がとても穏やかで控えめで優しい、ということ。
彼は誰からも好かれていた。


わたしは中学の頃の自分をあまりよく覚えていない。
抑圧されていたからだと思う。
思う存分、身体を動かすことが出来なかったから、他のみんなとは何かが欠落している、という感覚が今もある。
それなりに楽しかっただろうし(いや、実に楽しかった筈だ)、笑ってもいた。
でも、他の人たちからほとばしるような、はじけるほどの情熱や喜びがなかった。
少なくとも、そう感じて過ごしていた。
だから、空想の世界へ翼を広げることが多々あった。
そこでわたしは自由に走りまわり、いろんなことをする。
ストップをかける医者も教師も誰もいない。


だからかもしれない。
昨夜、彼はこんなことを言った。
「あなたはあの頃、ひとりでいることを好むというか、人と一緒じゃないというか、独特だったよね」
今日になって彼の言葉をこころに伝えると「えっ、もしかしてマミィって『ぼっち』だったの???」と、のたまう。
いや。それがね、その後にこう言われたのだよ。
「だけどもそれはけして『仲間はずれ』とか『ひとりっきり』とかじゃなくて、なんちゅうか自分の世界を見てたよな。きらきらした目で。」


へぇーーーーっ!!
という感じ。
いやはや実に驚いた。
そうか。そうか。そうだったのか。というか、そういう風に見てた人がいたのか。


なんだかとても愛しくなった。
「ぼっち」だと感じながらも夢見る少女だったあの頃の自分に。
それを見てちっとだけ嬉しく感じていた君に。


あの頃わたしはすこやかにしているみんなが羨ましかったし、運動の出来ない自分がみんなよりも不幸だと感じていた。
同じラインに立っていない自分が悲しかった。これからどうなるんだろうと不安もあった。
そんな自分自身を前面に出すことをしなかったのは、どうしようもないことだと思っていたのと、同情されたくなかったからだと思う。
「明るいわたし」を演出することで、なんとか自分を保っていた。
でも、きっと、自分のなかの何かは「希望」の光を見ていたのだろう、自分自身では無意識であっても。
どうしようもない、とあきらめるよう言い聞かせていたつもりだったけれど、わたしの魂はそうじゃなかったのかも。
彼と話をしているうちに、そう思えてきた。
そっかー。あんなに辛かったけれど、本当のほんとうは、大丈夫だったんだなぁー。
なんだか、あの頃のわたしに何か声をかけてあげたくなった。



あの頃わたしたちは誰もがお互いを名前で呼び合っていた。
それは40歳になった今も変わらない。
あの独特のイントネーションで名前を呼ばれると、意識はワープしてあの頃に戻っていく。
時間というものは一方向に流れるわけじゃないんだなぁ、と心から思う。




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