ぶらんこ
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2006年10月28日(土) ともだち

      先日、こころの学校の合唱コンクールへ行って来た。
           
      合唱も素晴らしかったが、母は終始、こころの後姿に惚れ惚れ。
      まっすぐに背を伸ばして他のクラスの演奏(合唱)に聴き入っていた。
      そんな彼女の後姿を見て、凄いなぁ〜と、心から感じた(親馬鹿かな)。
      本当に感動したので、帰り道、素直にこころにそれを言った(親馬鹿だな)。
      友達のことで色々悩むことはあるようだけれど、ちゃんと進むべき道を歩いているようだ。
      ああやって、たっぷりいっぱい悩むのが良いのだろうなぁ。

      
      
      
友達と書いてともだちと読む。
ふと思ったのだけれど、この言葉、特に「友(とも)」と「達(たち)」のふたつに分けられることはなさそう。
つまり、複数形であることを意識的に示した言葉ではないようだ。
「友」も「友達」も同じような意味で使われるひとつの言葉。なのかな。。。


この前ラジオに「ザ・クロマニヨンズ」が出ていた。
このときまで知らなかったのだけれど、このバンド、甲本ヒロトと真島昌利だったのね。
わおーーーーなんとなんと。訪問車走らせながらわたしは大笑い。
ラジオではなんとも噛みあわない(?)会話が続く。
DJ(中田美香氏)は困っただろうなぁ・・・。笑

このふたりの話で非常に共感したことがふたつ。
ひとつは「ずっと続けるかどうかなんて考えたことない。続けることが偉いとも思わないし。」
ひひひ。思わず拍手してしまった。

もうひとつ。「俺ら、ともだち少ないし。」
わはははははー。
このふたり。聴く側にとっては、非常に高飛車或いは横柄に聞こえるかもしれない。



実はわたしも「ともだち」少ない。・・・と、思う。笑
冷静に考えるとそうなのだ。
以前こころに「マミィって『ぼっち』だったんだ!」とわたしの中学時代のことを言われたが、今もあの頃と大差ないように思う。


「ともだち」という言葉を使うとき。
はて。と考えるちょっとした「間」がわたしにはあって、ある意味それって大切なことかな、とも思ったりするのだけれど・・・うまく言えないな。
なんちゅうか、簡単に「ともだち」と口に出来ないところがある。
かと言って、彼は(彼女は)友達じゃないのか?というと、そうでもなく。


ありゃ。だんだん何を言いたいのかわからなくなってきた。


べったりぴったりでなくても全然大丈夫。
きっと「突き放した」人間のように見えるかもしれないけれど、そうじゃないんだよ、と感じられる。
それがわたしのおもう「ともだち」。

わたし自身は、自分のことを屈折しているとは思っていないが、世間一般的には、とっつきにくい人種らしい。
いろんなことに簡単に「うん」と言わないせいかなぁ・・・と、最近、思う。
普通のことなんだけど。
そういう意味では、先のふたり。なんだか親しみを抱いてしまう。
ま、昔から大好きだった。それだけのことかもしれないけれど。





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