ぶらんこ
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先日、こころの学校の合唱コンクールへ行って来た。 合唱も素晴らしかったが、母は終始、こころの後姿に惚れ惚れ。 まっすぐに背を伸ばして他のクラスの演奏(合唱)に聴き入っていた。 そんな彼女の後姿を見て、凄いなぁ〜と、心から感じた(親馬鹿かな)。 本当に感動したので、帰り道、素直にこころにそれを言った(親馬鹿だな)。 友達のことで色々悩むことはあるようだけれど、ちゃんと進むべき道を歩いているようだ。 ああやって、たっぷりいっぱい悩むのが良いのだろうなぁ。
友達と書いてともだちと読む。 ふと思ったのだけれど、この言葉、特に「友(とも)」と「達(たち)」のふたつに分けられることはなさそう。 つまり、複数形であることを意識的に示した言葉ではないようだ。 「友」も「友達」も同じような意味で使われるひとつの言葉。なのかな。。。
この前ラジオに「ザ・クロマニヨンズ」が出ていた。 このときまで知らなかったのだけれど、このバンド、甲本ヒロトと真島昌利だったのね。 わおーーーーなんとなんと。訪問車走らせながらわたしは大笑い。 ラジオではなんとも噛みあわない(?)会話が続く。 DJ(中田美香氏)は困っただろうなぁ・・・。笑
このふたりの話で非常に共感したことがふたつ。 ひとつは「ずっと続けるかどうかなんて考えたことない。続けることが偉いとも思わないし。」 ひひひ。思わず拍手してしまった。
もうひとつ。「俺ら、ともだち少ないし。」 わはははははー。 このふたり。聴く側にとっては、非常に高飛車或いは横柄に聞こえるかもしれない。
実はわたしも「ともだち」少ない。・・・と、思う。笑 冷静に考えるとそうなのだ。 以前こころに「マミィって『ぼっち』だったんだ!」とわたしの中学時代のことを言われたが、今もあの頃と大差ないように思う。
「ともだち」という言葉を使うとき。 はて。と考えるちょっとした「間」がわたしにはあって、ある意味それって大切なことかな、とも思ったりするのだけれど・・・うまく言えないな。 なんちゅうか、簡単に「ともだち」と口に出来ないところがある。 かと言って、彼は(彼女は)友達じゃないのか?というと、そうでもなく。
ありゃ。だんだん何を言いたいのかわからなくなってきた。
べったりぴったりでなくても全然大丈夫。 きっと「突き放した」人間のように見えるかもしれないけれど、そうじゃないんだよ、と感じられる。 それがわたしのおもう「ともだち」。
わたし自身は、自分のことを屈折しているとは思っていないが、世間一般的には、とっつきにくい人種らしい。 いろんなことに簡単に「うん」と言わないせいかなぁ・・・と、最近、思う。 普通のことなんだけど。 そういう意味では、先のふたり。なんだか親しみを抱いてしまう。 ま、昔から大好きだった。それだけのことかもしれないけれど。
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