ぶらんこ
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先日、出かけたとき、なんという名前だったか忘れたが「電気で走る車」を見た。 ひゅーーーーん、とスムーズな走りでわたしたちの車を追い越して行った。
その車のことをわたしだけが知らなかった。 こころに「電気で走るんだよ」と言われて、またまた嘘ばっかり。と、まったく信じなかった。 が、彼女が色々と説明してくれるうちに、あぁそういえばそんな話があったような気がするなぁ・・と思い出した。 「未来の車の話かと思ってた」と、わたしが言うと、「ずっと前からだよ。CMとかもあったでしょー」と笑われた。 遠い記憶を辿ると、確かにそのようなことを聞いた覚えはある。 でも、すっかりと忘れ去られてしまっていたらしい。 自分に必要のない情報。と、脳が(或いは心が)判断したのかもしれない。
わたしはテレビを殆ど見ない。 だからそういう情報から離れたところにいる。 それが良いことなのかどうかわからないが、「あふれる情報に振り回されない」ということは言えると思う。 情報の取捨選択という脳の働きが退化してしまいそうだけれど。 (でも、心はどうだろう?)
「『環境に優しい車』とか言われてるんだよ。ガソリンも要ることは要るみたいだけど、ほんの少しなんだって!」 と、こころが言うので、へぇーーーーっと感心。 「電気はどうするの?」 「だから電気をチャージするんだよ」
ふーーーん。そういえばそんな話聞いたな。。。と、また思い出す。 でも、ふと気になった。
「でも電気も原子力に頼ってるんじゃなかったっけ?」 「そりゃそうだね」 「じゃぁ『環境に優しい』っちゅうのは変じゃないか?」 「まぁね。でもガソリンよかは良いんじゃないの?」 「そうかなぁーーーーー」
その後、マミィは考えすぎなんだとかひねくれてるとか話がいつもこじれるとか言われたが、それが大事なんでしょう、と、反論。 色んな情報があるけれど、メディアの話を頭から100%信じるのは危険だ、ということ。 多くの情報を知ることはとても大切だけれど、どこかで常に「疑う」ことが必要だと思う、ということ。 「距離」を置く、ということ。 自分自身のスペースを持つ、ということ。
ちょっと熱く語ってしまった。 でも、こころは涼しい顔をして言うのだ。
「あの車のこと、全然覚えてなかったくせに」
・・・未来は明るいなぁ。と、妙に感心。
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