今日、礼拝の時、感じたこと(・。・)
主は、私の声(歌)を聴きたいって思ってるんだなぁって。
今さらだと思うけど(−。−)
私は、本当はそう思えていなかったのかもしれない。 今日、はっきりそう思った。
その後で、お祈りしている時に、 主が私をすごくあったかいまなざしで見ている。そう感じた。
私が自分に対して、眉間にしわを寄せていても。 主は思いきり笑顔で、私を見つめている。
私が、自分に対して「これだけしか出来なかったね」と 文句を言っても、 「こんなに出来たんだ。すごいね!」と ほめてくれる・・・。
私は今まで、どれだけ主に逆らって、生きてきた事だろう。 そういうのを全部知っていて、でも愛してくれている。 あきらめないでいてくれている。
主は本当に私の幸せを願っている。 でも、私は自我との間で、葛藤し、 本当に主が願っておられるように、なかなか歩めない。 主が悲しむような事もしてしまう。 でも、私は主に従いたい。そう思う。
うまく言えないけれど、 主に従う中で、私は一番幸せな自分でいれるんだなぁと思う。 そこに本当の自由があるんだと思う。
もっとたくさん主と時間とって、 いっぱい幸せな毎日を過ごしたい。 もっとたくさん主がこれやりなさいねって言われることをして いっぱいうれしい毎日を過ごしたい。 主が悲しまれる場所に行きたくない。 主が悲しまれる事をしたくない。 主が悲しまれる言葉を使いたくない。
帰るとき、明日の礼拝の為の椅子並べの時間があって 今日、椅子を並べていた時、 今までだったら、自分が椅子を並べているのを 誰かが見てくれているかな?とか少し 意識していたような気がする。 でも今日は違った。 ひとつ、ふたつ、椅子を並べてみたとき 主が「ありがとう♪」と笑顔でメッセージを送ってくれたのを感じた。 その瞬間、びっくりして立ちすくんだ。 すごい・・・と思って感動した。
賛美している時も、 やっぱりどこかで、誰かの目線を気にしていたり するんだと思う。ピアノを弾いていても歌っていても。 でも、主が喜んでいて下さっている。 それ以上の喜びがどこにあるんだろう。 私はもちろん、賛美を自分の召命と考えているし それで神様のことを伝えていきたい。 でも、主は私の歌を喜んでいて下さっている。 単純だけど、それ以上の動機があるんだろうか?と今日感じた。
私は主に向って、私の賛美を捧げたいよ。
誰とも比べなくていい。 用いられているのかどうか、そんな事も気にしなくていい。 ただ、今の私は、主に向って 心から歌いたい。 そして、どれだけ私が主から愛されているのか。 その事を、今日のお祈りの時間の時みたいに いつも、いつも、いつも、いつも、いつも 感じていたい。 そして、主に私の全てを捧げていきたい。
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