| 2007年06月15日(金) |
愛されているということ |
いつもの心斎橋のプレイヤールールで 今日から24−1が始まった。
(とは言っても24−1だから明日まで)
24−1というのは、24時間、みんなで祈りをつなげていくというもの
私はオープニングの礼拝と、人々との交わりの後 ひとり、祈る時間をもった。
こないだ神学校の授業で、お互いに預言しあったとき 一人の方が言ってくださった言葉を思い出していた。
イエス様が私の事を大好きで大好きで仕方がないという事。
こまったね!こんなに愛されて。神に愛されている人だって。
私は、まあ、自分は神様から愛されているのは知ってたけど 実は、そんなに愛されているとは思っていなかった。 それは私のいろんな言動に表れていると思う。 もし愛されているなら、そういう事は言わないだろうし 考えないだろうし、しないだろうと思うことを 私はしてしまうし、考えてしまうからだ。
でも、今回ので、それがものすごく揺り動かされたというか ほんとうにそんなにも愛されているかもしれない いや、愛されているというのが実感として せまってくるようになった。
そしたら、自分がすごく大切に思えてきた。
そして、一人で祈っているとき それを感じて、涙が出てきた。 そして、そんなにも私を愛しているなら こうして私が神様に心を向けていることも 神様はうれしいんだろうなぁと思っていた。
それだけでも、こうやって祈る意味はあるだろうし 私にしても、とってもうれしい。
クリスチャンになって、〇〇年にもなる私が 今更こういう事を言うのもおかしいのかもしれないが そう感じた。
たとえ、どんなに好きな人がいたとしても これには代えられないなぁと思った。 だって神様以上に私を愛する事は誰にも出来ないだろうし。
そんな幸せをかみしめる、今晩であった。
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