♪♪夏子の(^▽^)日記♪♪
夏子の日常を皆様と分かち合うページ♪(・。・)

2007年08月13日(月) 神様の視点で

キャンプ三日目。

今日の朝の集会の分科会というのがあって
(女性男性に分かれる)
私は、人生で初めて、ソングリードをやった。

やり方がわからず、でも、導かれるようにやった。
結果は、(あああ、〇〇は、こうしたらよかったかな)と
いうのが2、3個あった。
しかも、短い時間だったので(2曲だけ)
それでもそういう感じだったけど、でも、何事も経験だろうし
もし向いてなかったら、もう頼まれないだろうし(^^”)
何事もチャレンジだろうなあとは思う。

失敗しないと、成長もないだろうし(なるべく失敗したくないけど)

でも、その時のメッセージが
子供はほめられて育つみたいなテーマで
(いや、子供だけじゃない。人間みんな)
人は、やはり、ほめられたり励まされたりして生きていく。
そしてお互いに親切にすることの大事さ。
90点取っても、よくがんばったねとも言えるし
なんであと10点取れなかったの?とも言える。
どちらの視点で人を見るかはその人次第と言える。

私は、ソングリードの後、
(ああ、〇〇はああしたらよかった)とか考えながら
激しく自分を責める思いになった。
でもそれは私にとって日常茶飯事だから、珍しい事ではなく
たとえ、なにも落ち度がなくても、わけもなく情緒が不安定になったり、
いいところとか、感謝するところより、そういう事で
心がいっぱいになったりする。
でも、それは真実じゃないから、祈りで対抗したり、
なんとか肯定的な気持ちになれるように踏ん張ったりもする。

でも、その時、イエス様がこちらを見て喜んでる気がした。
頭をなでなでして「よくチャレンジした。がんばったね」と
言ってくれた気がしたのだ〜!。
そして、私は、心があったかくなって、うれしくなって
じーんとした。

そして、それでもなおかつ、責める思いがある事にも気がついた。
どうしようかなぁ。。と、その二つの思いの合間にはさまれて
私は考えた。

そして、はっとした事があった。
誰よりも自分を責める自分がいることに。

誰よりも敵は、私自身である事に。

その事に気がついて、私は、心臓が凍るかと思った。


まあ、気がついてはいたのだと思うが、今日は、よりはっきり
そんな自分である事に気がついたのだ。

今日のメッセージのとおり、もっと自分を励ましてあげれる
自分自身の友達である自分でありたいと思った。

でも、叱責する事や、反省する事はちゃんと見つめて
その上で、励ましたり、良いところもちゃんと見つめてあげたい。

そうでないと、このままだと、自分がかわいそうすぎる。

これは自己憐憫とかじゃなく、ほんとにそうだと思った。

でないと、進むべきところでしり込みしたり
そのせいで、祝福が止まってしまったりするからだ。

その後、ケイラー夫人が、私に
「なにか祈ってほしい事はありますか」と聞かれた時
ちょっと考えて、私の口から出た言葉は
「神様が自分を見れるように自分を見ることが出来るように
祈ってください」だった。

この日記を読んでくださっている皆様。
こういう私のためにお祈りください。





大和高原の朝♪





























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ぴよ

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