今日は、いろいろなことが重なった一日だった。
ひとつは、朝の礼拝。今日の礼拝はいつもの礼拝と違っていて モザンビークや、いろいろなところへの宣教に用いるための ビデオ撮影の一環で、礼拝を撮影するというものだった。
私はピアノ弾きながら歌っていた。撮影してるから 緊張するかなぁと思ったけれど、そんなでもなかった。 それより、神様の愛が、情熱が、教会全体に満ちていて ワクワク喜びがあふれてきていた。
みんなの顔も喜びであふれていた。
教会がひとつになって、ひとつの民族を祝福し 宣教のために働けるなんて、素晴らしいよね。 そういう教会にいれて、めちゃハッピー!♪
そして礼拝が終わるやいなや、 次の場所へ、移動。
鶴見で、上原ヨシュアさんとゴスペルチームのライブ。 ピアノを弾いた。 すご=く緊張(ー○ー)なんか、全身の細胞が 若返る感じ。刺激的〜(笑)。ピアノほんまに今弾くん? みたいな感覚(ようわからん表現だなぁ) でもとてもよい時だった。 喜びを持って賛美出来たと思うし、 皆さんにも喜んでもらえてよかった>ほっ(・。・) 神様、無事終わってありがとう♪
その後、教会の藤野さんのお父様の前夜式へ。 前夜式でキーボードを弾いた。 式の中での藤野さんの証に、涙があふれてしかたなかった。 すごく神様の愛があふれる前夜式だった。
藤野さんのお父様がイエス様を信じたのは 2001年。それ以来、お父様はだんだん作り変えられ 優しくなられたそうだ。藤野さんとの関係も良くなっていったらしい。 別に普段礼拝に行くとか、そういうわけではなかったけれど お父様の内に、イエス様がいるから、そうなったんだね。
その話を聞きながら 自分の父のことを思っていた。うちの父は数年前に 無理やりイエス様を信じるお祈りをさせてしまった。 (無理やりっていうか、誘導?) それってクリスチャンっていえるの?って 私も自信なかったし、父も、教会に行く気配も聖書を読んで お祈りする気配もなく、私もがっかりすることが多かったけれど 何か、前より優しくなったというか、変わったなぁと 思えるのであった。だから、藤野さんの証を聞いていて うちの父の心の中にも、藤野さんのお父様の心の中にも 確かにイエス様が生きて働いてるんやと思うと しみじみしたし、うれしく泣けてきてしまったのだ。
教会の祈り会で、藤野さんのお父様のことを 時々お祈りしていたので(病院に入院されていたので) 私も、今日初めてお会いした(とは言っても、召されてからだけど) という感じがしなかった。とても親しみを感じた。
お父様は、今、イエス様と一緒に安らいで 天国にいて、喜びに満たされているんだね。
今日、イエス様の良き訪れのメッセージを聞いた 親戚の方々の上にも、主の豊かな祝福の御手が 共にありますように。そしてお父様がイエス様と 出会われたように、イエス様との出会いがありますように。 いつかきっと。
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