たまの玉手箱
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2004年11月01日(月) |
あれから1年・・・。 |
丁度1年前の11月1日の夜、足を剥離骨折した。 以前オーストラリアから日本に働きに来ていたオーストラリア人の友達が、 また大阪に遊びに来たというので、みんなでパーティーをしていた帰り道に 自転車置き場の階段で踏み外して左足を折ってしまった。
と、ここまでは、ギプスを巻いて出社した時に心配して聞いてくれた 先輩後輩に話した内容だ。 本当は、自転車置き場で自転車を押しながら階段を下りていっている時に、 階段の途中で目つきの気持ち悪い若い男が、 自分のジーパンのチャックを触りながら待っていたのだ。 嫌だなぁと思いつつ、すれ違う直前に足を引っ掛けられそうになった。 咄嗟に前へジャンプして一段飛ばして階段を下り、 もう一度一段飛ばして着地した時に階段の縦の長さを目測し損ねて挫いた。 バランスを崩しそうになったけど、必死で持ちこたえ 自転車に跨ってその場を急いで去った。 このことを知っているのは、家族と彼氏とごく僅かの者だけだ。
今、こうして書いてると腹が立つし、その時の恐怖も思い出す。 そして、よくあの時冷静に相手の出方を読んだなぁと感心する。 折れているとも思わずに足の違和感を訴えて外科に行き、 ギプスを巻かれて松葉杖を手渡された時は驚いた。 なにせ、外科には自転車で行ったのだから。 それから松葉杖には1ヶ月と少しお世話になった。 この格好で警察に被害届を出したら、少しは同情をかえるかと思ったけど、 振り返って詳しく話すのも嫌だったし、 よく考えてみれば触られてもいない。 「まだ骨折で済んで良かったやないの」って親によく言われたけど、 果たして本当にそうなのだろか。 遅い時間に帰ってきた私も悪いけど、 ヘンなヤツがうろくつ原因は一体何なのだろうか。 そういえば、階段を上って自転車を取りに行ってる間、 ヤツは遠くまで聞こえる大きな声で携帯電話で話しをしていた。 その時の内容は、同じことをしている人との会話ではなかったか。 ということは、他の場所で被害に遭っている人がいるということか。 だんだん悲しくなってきた・・・。
ギプスをしている間は、可能な日は父が車で送り迎えをしてくれた。 「両手が使えるのなら仕事は出来る」と上役に言われたため出社していた。 何度か父の残業で一人で帰らなくてはいけない日があった。 その時に気付いたこと。 よく利用する地下鉄の駅だけかもしれないけど、 エレベーターまで行く通路にスロープがあるのは何故? 滑り止めのデコボコが邪魔して、何度も転倒しそうになった。 スロープを無くして、その傾斜の分をまとめてエレベーターで 上げてもらえないのだろうか。 車椅子の方だって、その方がきっとラクだろうに。 スロープが苦手だったので、勇気を出してエスカレーターを利用した。 タイミングを計って乗れてホッとしたのも束の間。 下りることをイメージするのを忘れてて焦ったことを 今でも鮮明に覚えている。
あと、松葉杖をついて乗車しても、誰も席を譲ってくれないのに驚いた。 乗る時に、「どうぞ」なんて声をかけられたらヤだなぁって 思っていたのだけど、そんな心配した私が恥かしいくらいに知らん顔。 バスから降りる時に、高い段差にてこずっていたら、 何処からか、舌打ちが聞こえた。 確かに、ケガをした私が悪いのだけど、 急いでるのだったら、介添えして下さってもいいと思うのだけど。 雨の日のバスのステップは滑りやすいので、 これもなんとかならないのだろうか。
地震と同じで、起きた日を迎えるのはやっぱり怖い。 なので、私の中で11月1日は「ケーキの日」と名づけることにした。 これなら、来年からこの日を普通に受け入れられそうな気がする。 会社帰りにデパートに寄って、家族分のケーキを買って帰った。 まだヤツの目を忘れられない。 ヤツはもうこの町にはいないのだろうか。 それとも、同じ場所で同じように誰かが来るのを待っているのだろうか。
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