鮎見時子の日記
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2004年10月06日(水) DVについてふと思った

DV加害者が気がついたら妻の首を締めていて
その自分に焦って変わろうとしはじめた事を
ネットで語っているのみて
何かレスをと思っての私の思いついたこと

「首を締めた件最悪の結果にならなくて本当によかった」

でもどういえばいいか、
それストレートだと加害者擁護にもおもえ
でもそうじゃないというか

加害者にも被害者にもほんとに良かったねなんだけど

同じ言葉からその後の支援となると
まったく違う想定をしないといけないわけで
だからDVの支援は難しいし
当事者にとってはマクロはどうでもいいというか・・

いま全く理解されてないDVの本質。

なんていうか
そうだって、パートナーに首締められた体験ありなんて
ふとおもったけどそうありえないことじゃない
年間で日本でに限っても一人2人なんて数字でなくて
おそらく100人以下でもない
1000単位?

例外な狂人のすることでもなく

人が犯してしまう誰もが可能性ある残酷な過なのだって
想定しなおさないと
DVって何かもやってしまわない予防もないというか・・

でもおもうのは
もし3年前、加害者が自分でも
これ大変だとおもっても、被害者が思っても救済どこにもなかったわけ。

人類の歴史で、何万年かけて21世紀のいま
やっと正しい理解のほんの一歩目始めたってことかと

頭の中でかなりショックな事実すぎて
だいたい私が気がついたのが本当のことだけど
当事者にはだからなにな深刻さと深刻さだからこそ
自分たちのミクロで気持ちもいっぱいだろうし・・

でもDVは暴力ってなに?の人類の歴史で思ってきた認知と
セットというか
司法というか
争いの結果の殺人なんておかしいだろうってことすら実は
考える範囲でもっと低い本能だと
回避できないというか

人間社会はだってなにかは誰かの利害と一致しないわけで


よくたかがそんなことで暴力?というけど
実は脳のとってのたかがそんなことって皆無というか
だってものがあると思ったとおりにないのだって
ストレスだし・・

だから・・なにがいいたいって
よくわからないけど

300年まえだと
肩が触れて起こって殺し合いになっても
殺されるのがアクシデントでそれで?だったんだし

今現在まあ表向きは当然ちがうけど
隣のうちで子どもや妻が殺されそうになっても
救いがなかなかとどかなないわけで・・・

人間ってばかな生き物なのかと・・


鮎見時子 |MAIL

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