オットは私に「いつも笑っていて欲しい」と言う。「怒った顔大嫌い」と。 私もできるならそうしたいと思っている。
だけど、他のヒトもそうであるように いつも笑っていることなどできない。 オットの言うことがこの世の全てで、他に何のかかわりも影響も受けないでいればオットの一言一言をかみ締め オットだけを信じ いつも笑えるのかもしれない。
が、そんなことは不可能だ。
オットと出会うまでの25年弱に形成された性格と、それまでの生活環境から受けた影響に基づく思考パターンというのは そう簡単にぶっとばない。 オットだとてそうだろう。
前に書いたかもしれないが、オットに対して怒っている時の私の言い方というのは、とても冷たい。 人を傷つける言葉がナイフなら私のナイフは氷柱でできているのかもしれない。 だけど私はこれまでの人生を振り返って他人に氷柱をかざしたことはない。そもそも他人と口論などしないからだ。
なのに、オットに対してだけは何度も氷柱を突き刺している。
私がオットを刺すときって 「そんなことやめてほしい」「こうであってほしい」「これはしてほしくない」「こういう関係でありたい」
・・・ただのエゴだ。それもとびっきりの。
いまこうやって書きながら初めて気がついた。 そうか オット以外の他人と争ったことがないのは、特に期待していないからか。 オットに対してだけ望むことが多いから 私は 冷たく 厳しいのか。
「そんなことやめない?」「こうしない?」「これはしてほしくないな」「こういう関係でありたいね」 語尾を変えるだけで言葉の印象はガラリとかわるというのに。
何かがあったときオットにだけ対処を望むのではなく(たとえそれが私自身には関係のない出来事だったとしても)一緒に考えよ、という気持ちであればいいのだろうか。 オットはおそらくそういう私をうるさがると思うのだが、それでもいつもそばにいれば 何かが変わるかもしれない。
オットに「結婚したことを後悔しているの?」と聞かれたときすぐ否定できなかった。 それは、結婚そのものを後悔しているのではなく 結婚生活をうまく過ごしてこられなかったことへの後悔があるからだと思う。 オットだけが悪いのではなく、私も等しく悪いのだ。
あと4ヶ月で同じ苗字になってから まる4年になる。
まだ、間に合うだろうか?
本当の意味で「ふたり」で生きていく気持ちにお互いがなれるようになれれば きっと 笑っていられる。
chick me
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