ふつうのおんな

2004年10月29日(金) 妹からの電話

まだ仕事中だ。

さっき妹が電話をかけてきた。
母の続けている免疫治療のやりかたでどうしてもどうしても納得いかないことがある と。

母はすべて父の言うとおりにしてきた。
2年間。父のやり方を信じてきた。
だけど ここへきて 劇的に悪くなっているように見える。

だから どうしてもひとつだけ 試して欲しい治療があるのだ と。
妹はこらえるように言った。

どうしても試して欲しいけれど それを父が受け入れてくれるかわからない。
自分のしているやり方を否定された、ととられたら完全に拒絶されてしまう。
治療方法が混ざると嫌がるかもしれない。父は医者なのだから。
効くわけないといわれても、そしてもし 母が だめだったとき その方法を試せなかったことを おそらく一生苦しみ恨み父を憎むだろう。
だからどうしても試して欲しいのだと。

おねえちゃん
おねえちゃん
おかあさんに いきてほしいよ
いきてほしいんだよ
いままだいきてるんだよ

絞るように言った後 咆哮に変わった。

携帯の受話部分から妹の悲鳴に似た長い長い泣き声が響き漏れ出る。
近くには誰もいなかったから 私は それをふさがず 自分の口から同じ悲鳴が出ないようにハンカチを噛んだ。

妹はもう母親だから、母がしているかもしれない覚悟を自分の娘に対しても抱いているかもしれない。
そして毎日母との生活では 泣くまい 泣くまいと堪えているのだろう。
堰を切ったように うわあああああ と泣き声がやまない。

それを聞きながら、申し訳ないと心から思う。
私は母に会いたくてたまらないのに 母が衰えていくのを見届けるのが怖かったのだ。
怖くて 仕事が忙しいのを 言い訳に 月に一度しか母に会いに行かなかったのだ。

妹は毎日母の中に死の片鱗を感じては、自分の夫や娘のいない場所で泣いているのだろう。

私自身の命20年と引き換えに、母が2年痛みと苦しみのない生活を送れるのなら どうか そうなってほしい。

それで明日私の命が消えても ほんとうにかまわないのに。

私の年と同じ年月、泣くことの多かった母の人生に 幸せしかない時間をすごさせたいだけだ。

chick me
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etsu

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