2004年12月21日(火) |
入院中の様子3/ありがとう |
今日はゆっくり果汁をなめる程度だったけれど長崎から送ってきたみかんをひとつ母は食べた。 食べたといってもなめたに近いけど。
鎖骨あたりから24時間点滴の管を入れる手術をしたので殊更口からものを食べることに執着がわいているようだ。 私が帰った後吐いてるかもしれないけれど「おいしいおいしい」とよろこんでいた。 泣きそうになった けど こらえた。
手術室に入るとき姪が「ばーばー一緒に入る」と扉をばんばん叩いたらしい。 母は局部麻酔だったのでそれを聞いていたのだが うれしかっただろう。
で、造影剤をつかったCTの結果だが 右の腎臓 肝臓 大動脈周りのリンパ に転移していた。 胃はもう腫瘍が大きくて小指一本分も隙間がないらしい。 そりゃなに食べても吐くよね 詰まってて落ちないんだもん。
そんな歩く癌細胞みたいなことになってるのに 本当に幸いなことに まだ痛みもなく発熱もなく起き上がって会話をすることができる。 歯磨きも洗顔も自分でできる。
でも母の肝臓はほんとうに一気に悪くなった。 今月の8日までテニスしてたんだよ??そんなひとが16日には手術不能なほどの肝機能障害。 目に見えてひどい黄疸。 だから、前にもした表現だけどPHジャンプのようにあるときを境に急激に様態が悪化するのではないかとそれだけが一番怖くて心配なことだ。
今日の結果を踏まえて父は「3ヶ月・・・2ヶ月もつかどうか」と言った。 母にそこまでは言ってないと思うが、母は年単位での延命を願っている。
私が母に望む最低限の時間は、2月末に生まれる妹の息子を抱くこと 最低限の希望は、最期のときまでできる限り苦しみが少なく 私を私とちゃんと分かる程度の意識を保っていてくれることだ。 痛みや苦しみがあるときは悲しいけれど、いっそ意識がない状態のほうが母にとってよいのは分かっている。 だけど最期のぎりぎりまで どうか私たちの声を聞いていてほしい。
------------ この日記をよんで連絡をくれる友達たちへ
16年以上も前から母を知るあなたたちには、母の今の状態は想像がつかないと思う。 けれどまだみんなの知る母に近い状態だから。 痩せちゃって体の中はぼろぼろだけど まだ生きていて話もできて シャーベットたべたいな とか言ってるから。
心配かけてごめんね
そして、私のことを心配してくれてありがとう ありがとう ------------- メールをくださった方たちへ
皆さんも親のことや家族のことで私と同じ苦悩を味わってこられるのですね。 励ましのお言葉ありがとうございます。 ほんとうに うれしかったです。
chick me
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