ふつうのおんな

2005年10月19日(水) 失う悲しみ

この日記で書いているとおり 私は母を6月に亡くしました。
まだ 涙は枯れません。

私がよく行くサイトのお姉さんもご尊父を亡くされ その悲しみをこう表現されていました。

美しいものを見たり楽しい出来事に出会うと
この喜びを分かち合いたかったという無念の涙が止まらない

本当に そうですね。

先週 仕事関連の方のご子息が授業中に事故で亡くなられました。高校生です。
私はそれほど親しい関係になかったのですが どうしてもメールを書かざるを得ませんでした。
今日その方から返信をいただきました。
「つらい気持ちを分かち合っていただける方へ
今の気持ちをぶつけることができて、ちょと気持ちがらくになりました。」
と言って下さいましたが それはそう言って下さっているだけで
ほんの少しも楽にならないことを知っています。

大切な恋人や家族を死によって失う悲しみは 経験した人でなければ解らないと思っています。
実際 失ってみて 湧き上がる感情は「無念」です。

もっと一緒にいたかった
喜びも悲しみも苦しさも あらゆるどんな出来事も共有したかった

という無念です。

それでも私は母が少しずつ内側から壊れ 外側にあふれていくさまを見ました。
そうして母の死を現実として受け止めさせられていきました。

でも 事故というのは 本当に残酷なものです。

自分の子供が 今日学校から帰ってこないことを 想像する親がありますか?
家族から珍しく仕事中にかかってきた電話が 子供の訃報を伝えるものである衝撃を いつも覚悟している親がありますか?
逆もまた然りです。

大切な人の喪失をなにひとつ覚悟させてもらえないのが事故です。

先日の電車がマンションに激突したときの大事故のニュースを見ながら
「事故で家族や友人を失うのだけは嫌だ」
とオットに言いました。
病気という緩やかな死への時間を経ても尚これほど辛いのに 事故でいきなり失うなんて耐えられるだろうか?
耐えるしかないのでしょうが
時間が悲しみを薄れさせてくれるのをじっと待つしかないのでしょうが
ほんとうに やるせないことです。

先に書いた方は今業務が本当に大変なときなので きっと仕事中だけは忘れられると思います。
でも 長い時間忘れていられるほどに ふっと集中が途切れた瞬間に襲ってくる悲しみは とてつもないものです。

その方の咆哮の発作がなるべくはやく 少なくなってくれることを 心よりお祈りいたします。

chick me
 < Past  Index  Future >


etsu

My追加