2006年02月10日(金) |
親の病気というのは。 |
親が生きている全ての人に訪れる可能性のあるもの それが親の病気。
親が早く亡くなることはよくあることだし 親や亡くなる事自体普通のこと
よくある事であって、個々にとっては特別なことであり何某かの影響があること。
親が倒れても 友達と笑いあうことはあるだろうし 親が闘病で何も食べられない状態になっても おなかはすく いけないことではない おかしなことではない 不謹慎なことではない
親が倒れる という出来事が自分の心や生活にあまり影響を及ぼさないからといって それは異常なことではない
人それぞれ感じ方 関わり方があるものだ
だから私の悲しみは私だけのものであり あなたの思いはあなただけのものである
このサイトをみていないであろう 私の大切な友人の父親が癌で入院することになった。 「早期発見だから完治するみたい」 彼女はたとえそれが完治しない類のものであっても あまりショックではないと言った。 そういう感じ方をする家族との関わり方をしてきたのだろうから 別にそれそのものは悪い感情ではない。 彼女が罪悪感を持つ必要はない。
このサイトを見ているであろう 私の大切な友人の母親が少し体調を崩しているらしい。 彼女の母は私の母の友人であり、もう何年も癌と戦いつづけている人だ。 私の母を励ます手紙やプレゼントをくれたりした。 母は 手紙を何度も何度も読み返し 泣いていた。 その手紙は母と一緒に送った。 友人はもうすぐ二人目の子供が生まれる。 生まれてくる子の性別を人がアレコレ言うことを気に病んだりする自分の悩みなど 自分の母や私の父の悩みに比べれば小さいよね というが そんなことはない。
関係ないよ
自分の悩みが小さかろうが くだらないことだろうが、本人にとって気にかかることには違いないんだから。 彼女のお母さんは 自分の娘が他人から言われることで気にしていることがあったら それをちゃんと聞きたいと思う人だから彼女がそんなことを気にしていると知ったら「馬鹿ね」って笑うだろう。
私には もう母と呼べる人はいない。 もう どんなことも共有することはできない。
親だからって愛さなくてはならないということはないし なんでもしてあげなくちゃいけないということはない。
ただ、いなくなってから あれをすればよかったとか考えるかもしれないのなら 生きている今 やれるだけやればいいと思う。 それは後に残る自分の心を軽くしてやるためだ。
日々見過ごしてしまいがちなことほど、後になってから幸せなことだったのだと気づくのはとても辛いことだから大切な人が「今 生きている」ことを享受する。 それだけで 後悔は格段に減るものだ。
来月か再来月に、去年の三月に母と行くはずだった旅行を 父としようと考えている。 母が病院のテレビで見て「いってみたい」としきりに言っていた宿を調べてみようと思う。 「治ったら あなた(父)と弟たちと行こうね」と手帳にメモしていたあの宿。
母をもっとたくさん連れ出せばよかった。 最初で最後の二人だけの北海道旅行のあと 1年間も元気な時があったのに。
私の一番の後悔は それだ。 だから これから父とはいろいろ出歩こうと思っている。
父にも 私にも この先いつ何がおきるかわからないから。
chick me
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