朝ご飯 ホットケーキミックスで作った蒸しケーキ 冷やしトマト 胡瓜とツナの和え物
母接骨院へ。 母の部屋に電話。 出て見るとMさんで、 「お父様の具合はどうですか?」とのことなので 何も考えずべらべらと状況をしゃべる。 一息つくと、 「今日主人が亡くなりました。そちらも大変なのに、すみません。 親しくしていただいたのでご連絡だけでも」と言われる。 大変だ。 「ごめんなさい、ごめんなさい、自分のことばかりしゃべってしまって」 お通夜、告別式の時間をうかがう。 いつだったらこちらから電話をさしあげられるかもうかがう。 Mさんはもともと私の友人で、そのうち両親同士も仲良くなり(母同士から) 一緒に旅行に行ったり遊びに行ったり親しくさせてもらっていたのだ。 (今日連絡を下さったのはM家のお母さん。) メモをしているうちに、亡くなったのはMさんのお父さん (私も良く知っている)なんだと思い、しゃべれなくなる。 お互いにあやまって電話を切り、そのあとしばらくめそめそする。 母に言わなきゃ、早く帰ってこないかな、と思い外に出て、 そのへんにあった竹箒でカドッコを掃いたりしていると おとなりのBちゃん「お父さんどう?」と来る。 Bちゃんゴミを集めるのを手伝ってくれた。
息子と買い物に行く。 (リュックサック、ズボン、ジャケット) お昼を食べ、駅まで夫に迎えにきてもらい病院へ。 父、「なかなか来ないな。」と待っていたらしい。 息子、委員会の話しなどする。 お誕生日のプレゼント(お金)もらう。 父眠り、夫と息子はお茶を飲みに行き、私は父の部屋で昼寝。 私は寝てばっかりだなー。 以前父が抗がん剤の治療で入院(あの時は80日間も入院していた) していたときも、私はしょっちゅう父の病室でぐーすか寝ていたのである。 いすをベッドに近づけて、足をベッドに乗せると良く眠れるのだ。 抗がん剤治療は4年前の今ごろのことで、 まだ私の仕事も今ほど大変ではなく、 母も腰痛には無縁で父が退院したらハイキングに行きたがり 息子は私のヨタ話しを大喜びするのんき者(小5)だったころだ。 大阪池田小の事件も父の病室のテレビで知ったのだ。
あの入院なんて実はちょろいもんだったんだと思いながら昼寝をしている。 母はクロスワードパズル。 4時過ぎ「また来るね。」といって帰る。
なんだかくたびれたなー。もう今日は晩御飯作れないや。 外食することにするが、一旦家に着いたらもう出かけるのもいやなので 夫と息子だけ食べに行ってもらう。 母と私、冷たいトマトとレタス、塩昆布でごはん。
夜息子「史上最大の作戦」を見るというが、私は寝てしまった。
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