鼠小僧白吉のうだうだ日記

2002年05月01日(水) あの日から8年、5月1日

セナがイモラに散ってからもう8年かー。今年も5月1日がやってきた。

モータースポーツを見始めてからもう13年になる。この13年、いろいろなレースをテレビで、サーキットで観戦して感動、興奮、イロイロ心に受けてきた。その13年のなかで忘れることのできない、心に深く刻まれている1日が8年前の5月1日だ。

その日おいらは早朝から富士スピードウェイにいた。全日本GT選手権の観戦に出かけていたのだ。朝8時だったと思う、場内で流れているFMラジオの放送が始まった。
「おはようございます。今日はまず悲しいお知らせをしなくてはいけません」
ラジオはこのヒトコトから始まった。
「ローランド・ラッツエンバーガー選手が昨日行なわれたサンマリノGPの予選で亡くなりました」
その年の前年、ラッツエンバーガーは日本でレース活動を行っていた。当時高校生だったオイラ、知ってる英単語を並べて話しかけたら、ニコニコしながらサインに応じてくれた。日本でそれなりの結果を残した彼はF1にステップアップ。F1にデビューして数戦目の悲劇だった。そのニュースを聞いた時、正直信じられなかった。当時、オイラたちは「F1は安全な乗り物」と思っていたのだ。当時、F1は何年もの間、死亡事故はおこっていなかった。マスコミもよくF1安全神話みたいなことを良く報じていた。ほかのカテゴリーで死亡事故のニュースを聞いてもF1では聞かなかった。

F1で死亡事故が起きた、そのことが信じられなかった。しかも、その前年は日本にたラッツエンバーガーが。その放送の時、オイラはピット上にあるバルコニーにいたのだが、コースをはさんで反対側にあるメインスタンドからドヨメキが沸きあがったような気がした。

朝、そんなニュースを聞いたからか、いまひとつレースを楽しめず、モヤモヤした気分で家に帰ってきた。そして、夜、F1サンマリノGPのテレビ中継が始まった。いつもとオープニングの雰囲気が違う。三宅アナがセナの事故を告げた。ヘリコプターで運ばれて行くセナが映し出されている。その映像のあと改めてレース中継がスタートした。その数分後、画面の上に「セナ死亡」のテロップが……。画面が切り替わり三宅アナ、今宮純氏が。改めてセナの死が告げられる。今宮サンが、三宅サンが泣いている。なんなんだろうこれは。率直な感想は「なんだか良くわからない、理解できない」。セナが死んだ……

翌日、学校でF1好きの友達と目が会った瞬間、「セナ……」何も言えなかった。

5月1日、毎年この日になるとセナのことを思い出す。今年セナが生きていたら41歳、セナはどうなっていただろうなー。


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