小豆の日記

2005年03月20日(日) おじいちゃんのこと

眠くてなかなか起きられなかった。

相方と母と一緒にレッドロブスターにてでぃな。
この間レッドロブスターで食事をした時にくじを引いたら、
「ロブスター1匹プレゼント/3月一杯有効」というのが当たったので。

メニューは、
・オイスターの浜焼き
・焼きタラバガニ
・ライブロブスターのスチーム
・2色パエリア
という感じ。なかなかゴージャス♪
全体的に味がやや濃かったけど、おいしかった♪
(一番おいしかったのは、やっぱりライブロブスターでした。)
母が楽しそうだったのが何より。

食事中に祖父の話になった。
祖父は(私にとっては)興味深いヒトだったんだ!と再認識。
・戦前は東京でタクシーの運転手をしていて、車の整備も自分でやっていた。
・戦後、故郷に戻ってからは、農作業に精を出した。
 山の動植物に興味があったようで、図鑑等で色々調べていたらしい。
 植物の食べられる/食べられないについては詳しかったんだって。
 (よくタラの芽や松茸を送ってくれたし、
  遊びに行った時にお腹を壊すと、よくゲンノショウコを煎じてくれた。)
 そういえば海の生き物にも詳しかったような気がする。
・押入を改造して、写真の現像や引き延ばしをしていた。
・若い頃、一時期、お医者さんの家で書生さんのようなことをしていたそうだ。
 (初歩的ではあるが)医学の知識をもっていたらしい。
 祖父の住んでいたところは無医村だったので、
 家族や近所の人たちが病気になると、注射をしたりしていたとのこと。
 (法律違反ではあるけれど、まあ、もう時効ということで。
  そのために、死んじゃったり、症状が悪化したりした人もいなかったようだし。)
 
手先が器用で、木に鳥の姿なんかを彫刻していたのは知っていたし、
祖父が亡くなった後に、
・自分で家を建ててしまった
・若い頃は蓄音機で音楽を聴いていた
・自分たちの先祖が平家の落人だと言っていた
というハナシを母から聞いていたので、
「おじいちゃんって面白い人だったんだなあ」と思ってはいたのだけど。

つくづく、生前に祖父の話を聞く機会があればよかったのに!と悔やまれてならない。

そして、音楽や写真や生き物に興味を引かれる自分を振り返ると、
祖父との血のつながりを意識せずにはいられない。
祖父は知的好奇心の強い人だったと母は言うが、私も多分にそういうところがある。
祖父も私も、幼い頃に周囲からそういう影響を受ける環境にはなかったので、余計に。

今の私を見たら、祖父はどう思うのだろうか?


 かこ  もくじ  みらい


小豆 [MAIL]

My追加