まみいの日記
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2002年02月20日(水) 三女のこと

BBSでお話しているうち出産の話題になり ふいに三女を産んだときの事を思い出した。
そこは転勤地の沖縄 那覇の産院で 東京在住の母は父が怪我をした為に来られなくなり 私は3人目という事もあって 1人でいても大丈夫と落ち着いていた。
しかし微弱陣痛が続くばかりで 一向に産まれてくる気配はない。
かなり苦しんだ後 やっと「ウンギャー」というかぼそい声と共に三女はこの世に生をうけた。
ほっとしたのもつかの間 私は病室のあまりの静かさに 思わず「五体満足なのでしょう?」と 赤子の面倒を見ていた看護婦に尋ねた。
まだ若い看護婦は困ったような顔をして医者に視線を動かす。
「ああ 何かあったんだ。」と身構えた私に医者は「丈夫なお子さんですよ」と優しく言った。

結局赤ちゃんは見せてもらえず 不安な一夜は過ぎていった。
主人はすぐに医者に呼ばれ事の成り行きを聞かされていたが「奥さんは察しておいでのようですが今夜は黙っていましょう」との言葉に従い私には何も無かったように接した。

一晩中まんじりともせず 私の思いは悪い方へ悪い方へと向いていき とうとう二人で死ぬ事まで辿り着いた。しかしまだ幼い二人の子を残しては死にきれないと葛藤に葛藤を重ね ようやく私はこの子と生き抜くことを決心した。

そして長かった夜が明け朝食を終えた私の病室に医者がやってきた。
もうすっかり決心のついた私は 至極落ち着いて話を聞いた。
「お子さんは膝が反対に曲がってしまって産まれてきました」
「直るかどうかわかりませんが ここを退院後すぐ小児科に行ってください」
言葉が私の胸に収まるまで 数秒かかった。
考えられる限りの最悪な状況を覚悟していた私にとって その時の印象は「な〜んだ足一本のことだけ?」今思えばなんと不遜な言葉であろう。
でも 真実その時の私はしあわせだった。
それぐらいの事 大丈夫なんとかなる。
私が悲嘆に暮れると思った医者は拍子抜けした様で「お大事に」といって去った。
こうして 世界で一番不幸だと思った私は一瞬にしてしあわせな気持ちになり 神に感謝した。私が太刀打ちできる程度の試練で許してくれた事を・・。

その後 三女は大方の予想を裏切り退院までには元に戻り 訪れた小児科の先生は珍しい症例を見逃した落胆を隠しもせず もう本当に大丈夫なのかという私に「そりゃ 無理に曲げろというんなら曲がりますが 折れちまう」と不機嫌そうに言い 私はにっこり笑いながら危険な先生から三女を取り戻したのであった。

幼稚園では かけっこの速い活発な子であった。その子も今年高校生となる。
どの子にも 誕生にはドラマがある。
ドラマを話続けていく事が私に出来る 命をつなぐことなのか・・・。



まみい