Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 アイルトン・セナの略歴
2002年05月01日(水)

●「F1第5戦スペイングランプリ」をアップ

 1994年の今日、F1サンマリノグランプリの決勝で、英雄アイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)が34歳の若さでこの世を去りました。

 セナは1984年に下位チームだったトールマン・ハートからF1にデビューし、この年にいきなり6位入賞2回、モナコでの2位を含む表彰台3回の成績を残し、早くもF1で頭角を現しました。翌85年からは名門ロータスに移籍し、移籍後2戦目の第2戦ポルトガルグランプリで初優勝を飾り、さらに第10戦オーストリアグランプリから第14戦ヨーロッパグランプリまで5戦連続で表彰台に登り、その内第13戦ベルギーグランプリでは2回目の優勝を果たしました。

 86〜87年の2年間では4回の優勝を含む計16回の表彰台を獲得し、88年、セナはいよいよトップチームであるマクラーレン・ホンダに移籍し、自身初のワールドチャンピオンに輝きました。その後最強のホンダエンジンと共に90〜91年にも2年連続でワールドタイトルを獲得し、セナのF1での地位は不動のものとなりました。しかし1992年にセナの愛したホンダがF1から撤退、セナは2年後の1994年、自身4度目のタイトルを目指し、この頃最強を誇っていたウィリアムズ・ルノーに移籍しました。

 しかしこの年のセナは、開幕戦ブラジルグランプリと第2戦パシフィックグランプリで2戦連続でポールポジションを獲得するも、決勝ではいずれもリタイヤを喫し、シーズン序盤からタイトル争いに暗雲が立ちこめます。ちなみにこの開幕2戦で連続優勝を果たしたのは、若きミハエル・シューマッハ(当時ベネトン・フォード)でした。そしてその2週間後、あの悪夢の週末といわれた第3戦サンマリノグランプリはやってきました。

 金曜日のフリーセッションで起こったルーベンス・バリチェロ(当時ジョーダン・ハート)の、鼻の骨を折るほどの激しいクラッシュに始まり、土曜日の予選ではF1デビューわずか3戦目のローランド・ラッツェンバーガー(シムテック・フォード)がクラッシュにより死亡するという悲しい事故が起こりました。そして5月1日の決勝、近年のF1でもっとも悲しい出来事が起こりました。3戦連続でポールポジションからスタートしたアイルトン・セナはトップをキープしたまま周回を重ね、シューマッハとの激しいバトルを繰り広げながらも最後までトップを譲ることなく、7周目に高速タンブレロ・コーナーの壁に激突し、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
 コース上で、しかもトップのまま逝ってしまったというのが、いかにもセナらしい最期だったような気がします。1994年サンマリノグランプリは、色々なことが起こりすぎました。このグランプリで3連勝を飾ったシューマッハでしたが、そのポディウムは深い悲しみに包まれていました。
 そしてこの事故により、イモラサーキットの名物であった高速タンブレロコーナーはシケインへと大きく変貌し、その他様々な点でF1の安全性が飛躍的に向上していくこととなりました。

 セナの亡き後、ミハエル・シューマッハがこの年と翌95年に2年連続でワールドチャンピオンに輝き、1996年にはフェラーリに移籍し、その後現在までF1をリードし続けています。思えば8年前の今日が、近年のF1の歴史では最大の世代交代の瞬間でした。ただその世代交代がセナの死によってではなく、チャンピオンシップを通して、シューマッハがセナに堂々と打ち勝って引き継がれていって欲しかったと、未だに悔やまれてなりません。おそらくあの事故が起こらなかったとしても、シューマッハはセナを超えられたに違いありません。


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