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■ ジル・ビルヌーヴ没後20周年
2002年05月09日(木)
20年前の今日、1982年5月9日に行われたF1ベルギーグランプリ(ゾルター)予選で、伝説的F1ドライバー、ジル・ビルヌーヴ(フェラーリ)が事故死しました。
ジル・ビルヌーヴとはご存じジャック・ビルヌーヴ(BAR・ホンダ)の父で、ワールドチャンピオンこそなれませんでしたが、そのアグレッシヴな走りはファンを魅了し、「記録より記憶に残るドライバー」と言われ、またF1における90年代最大の損失がアイルトン・セナであるのに対し、80年代最大の損失はジル・ビルヌーヴであると言われました。
フェラーリは今年のサンマリノグランプリ(イモラ)で、ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロによって地元では2度目となるワンツーフィニッシュを達成しましたが、フェラーリ初の地元ワンツーは、ジル・ビルヌーヴとディディエ・ピローニによるものでした。 しかし、このときのワンツーフィニッシュは非常に皮肉なものでした。レース終盤ワンツー体制を固めたフェラーリは両ドライバーにスローダウンを命じました。しかしスローダウンしたトップのビルヌーヴを、チームオーダーを無視したピローニがオーバーテイクしてしまったのです。ビルヌーヴはピローニを抜き返して再びスローダウンするも、ピローニはまたもビルヌーヴをオーバーテイクし、結局ピローニが優勝することとなってしまいました。それ以降ビルヌーヴはピローニと一言も言葉を交わさず、迎えた次戦ベルギーグランプリの予選中、ビルヌーヴは前のマシンと接触、彼は宙を舞い、そしてシートごと車外に放り出されて死亡しました。
さらに皮肉なことに、ピローニも西ドイツグランプリで同じような事故で両足を複雑骨折し、その選手生命が絶たれてしまうことになりました。
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