 |
 |
「藪の鶯」 三宅花圃
最近、なんだか樋口一葉づいているが、その流れで、一葉に小説が金になるということを教えた三宅花圃「藪の鶯」を読む。もちろん、出来そのものは一葉と比べ物にならないけれど、明治のご令嬢の願望の程度が垣間見えて興味深い。(内容はあほらしい。)
極端な西洋かぶれはダメ、無知蒙昧はダメだが生意気だと思われない程度の教養、陰で男を支える美徳などなど。教師として自立することも許容範囲だが、あくまでも許容範囲で、幸せかどうかは?とされる。思うに、この考え方が私たちの親世代まで(つまり、今の70代の人たち)大手を振って通用していたのではなかろうか。
この短編には、若い女性がたくさん出てくるけれど、実際にストーリーを動かす要因となるのは男である。女が男を動かすのは、容貌や仕草によって魅惑する程度のこととしてしか存在しえないようだ。
意外なことに、花圃お嬢さんは、勝手口での車夫や下女らのおしゃべりにも通じていたばかりか、逆美人局ともいうべき場面まで挿入していて、なかなか下世話なこともご存知で、と感心した。会話が多いので、役を振って読むと面白いかもしれない・・・斉藤孝氏の著作は読んでいないし、あまり読むつもりもないが、この話は『声に出して読むナントカ』に入っているのかなあ。転げまわって笑えそう。そういうの、立派な日本語に対して不謹慎だから入っていないか。
|
 |
 |