2014年10月01日(水) |
「伝説の最期編」お気に入り場面 |
せつないよね、このお話。
幕末の動乱期に、その命をほぼ燃やし尽くしてしまった人たちばかり。
新しい時代はいったいどうやって生きていけばよいのか、そりゃ迷走もしますわな。
時代が変わった時に、それを受け入れた者は剣心や斎藤になり、
受け入れなかった者は志々雄や蒼紫になっただけ。
だから、剣心が志々雄になっていた可能性もあるし、斎藤が蒼紫になっていた可能性もある。
そしてやはり、誰もがその根っこは侍のまま。
だから、戦いながらもお互いのことはすごくよくわかっていて、
だからこそどの戦いも、見ていてせつない。
「世の中の悲劇をひとりで全部背負うつもりか」(by師匠)は不可能でも、
自分がかかわってしまった悲劇だけはどうにかしようと、
師匠は馬鹿弟子を、翁は蒼紫を、剣心は志々雄を、終わりにしてやるのは自分だ! と、
命をかけてその責任を果たそうとする。
ほんとにもうサムライって揃いも揃って!
そこが最高にカッコいいわけですが。
では、わたし的大好きポイント。(多すぎですがご了承ください)
なお、師匠との修行、蒼紫戦、宗次郎戦、志々雄戦、でのワザ的なものは
すべてカッコよくて大好きなので省略。
・心太を拾った若かりし頃の師匠
・師匠のお家(ロケ地 滋賀県・安楽律院)
・剣心を容赦なく斬るわ蹴るわの師匠。
・赤い着物の師匠。
剣心の色かと思ってたけど、もともとは師匠の色だったのね。
第一作で薫殿から着物をいただいた時、「師匠の色だ」とか思ったりしたのかしらん。
・「春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。それを愛でるだけで酒は十分旨い。
それで旨くないなら、それは自分の何かが病んでるということ」と言えちゃう風流師匠。
・その言葉も含め、師匠の言葉の数々は身体に染みついている剣心。よい弟子ではないか。
・蒼紫と戦った御庭番衆の抜け道。あの山道ステキ。(ロケ地 滋賀県・日野城跡)
・警官をかわしつつ、恵殿へはあくまでも優しく穏やかに「下がっているでござるよ」な剣心
・警官隊に囲まれて、一瞬抜刀する振りを見せる剣心。
・伊藤博文を「伊藤さん」と呼んじゃう上に、「拙者がおとなしく殺されると思うか」と
さらっと言っちゃう剣心
・砂浜での志々雄一派と警官隊の戦いで、
「誰かがやらねば」と言いながら殉職していく部下に、斎藤の「ご苦労だった」。
・志々雄 「傷だらけじゃねえか」
剣心 「姿かたちで言えばおぬしも同じようなものであろう」。
言い返すというより、同士的な憐れみを感じるところ。
・斎藤から志々雄への「手負いひとり片づけたからっていい気になるなよ」。
しかもいつもどおりのくわえ煙草。
・あの四人がまとめてかかってきても負けない志々雄さま最強。
ちなみに、志々雄さまこと藤原竜也氏は、殺陣のほとんどを1回見ただけで覚えてしまうそうで、
志々雄さまの中の人も本当に最強。
・志々雄さまへの攻撃が一貫して「まとわりつく」「邪魔をする」な左之助。
このどんくささも極めるとラブリー。
・剣心 「拙者やおぬしが生きた時代は終わったのだ」
志々雄 「幕末は終わらない。俺がこの無限刀を手にしている限り」
剣心 「拙者がこの逆刃刀を手にした時に、終わったのだ」
相手だけじゃなく自分だけじゃなく、終わったのは「自分たちの」と言う剣心。
志々雄に対しても、決して上から目線じゃない剣心のやさしさ。
・侍たちへ敬礼
剣心たちは敬礼なんぞまったく望んじゃいなかっただろうけど、
そして見てるわたしは、敬礼くらいで済まされちゃかなわんわ、という思いもありつつ、
でもやはりこれは伊藤にできる最大級の感謝と賛辞だったのだろうと。
もちろんこの「侍たち」には、生還した剣心たちだけじゃなく、
かつて維新政府のために働いた志々雄も、
この戦いの中で死んでいったすべての侍も含まれているはず。
伊藤のこの言葉からは、すごく多くのものが読み取れます。
もはや自分は自らの手を汚すこともなく「侍」ではなくなって久しいという寂しさや自嘲。
それと同時に、もう侍の時代ではないのだから自分がそうである必要もなく、
自分はすでにもっと先にいる、といった余裕。
目の前にいまだ少しだけ生き残っている侍たちが、侍のまま生き続ける道は
もはやないのだ、という憐憫。
そんなさまざまな想いがひしめきあいつつの「敬礼」だったのだろうなと。
カッコよさとせつなさはセットになってこそ最強ですね。
以下、パンフより。
佐藤健
普通だったら、ヒーローと敵がいて、そのヒーローが敵を倒したっていうカタルシスがあります。
今回は相手を倒して戦いは終わったはずなのに、「何だろう、この哀しい気持ちは」っていう
思いにもなるんですよね。すごく不思議な気分と言いますか。
大友監督
剣心もすごく大きな哀しみを背負っているから、相手の哀しみがわかるんだよね。
自分を倒そうとする人間の哀しみすらわかってしまう。しかも、敵は自分を殺そうとしているのに、
自分は絶対に相手を殺さないっていう。そこに剣心の哀しみの果てにある、
人間の優しさの究極みたいなものをすごく感じるんです。
ブルース・リーじゃないですが、(剣心には)倒したことで満足するんじゃなくて、
倒したことで哀しみを背負っていくという、相手を見つめる目の優しさがある。
剣心ほんっとやさしいものね。
「京都大火編」と「伝説の最期編」、一度くらい続けて観たいかもー、と思ったのですが、
4時間35分じっと座りっぱなしはやっぱりツラすぎるので、DVDを待ちましょう。
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