徒然日記
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2006年04月16日(日) 久々に

行った橋。

とりあいじ朝起きたのが8時。
寝過ごした!と思いながら、出発準備。
別に午前中とだけ決めてて詳細決めてなかったから
遅刻では無かったんだけどね。
10:30頃の時点で友人が来て無さそうな雰囲気だったからイタトマ行って友人待ち。
と、既に某お二方はスタバに行っていた様で(汗)
わざわざ、イタトマ迄来てくれました。
歩かせてしまってごめんなさいm(_ _)m
お昼過ぎ迄だらだらし、Aさん・Kちゃん・Rちゃんも揃って。
解散発表後は逢ってなかったメンバーだったしで暫くテンション高めに語り合い。
二階だったから逆橋も良く見えて、凄い集まっている事に感動。
やっぱりラーって凄げーよ。
朝方、雨降ってたにもかかわらず、沢山集まってました。
と、某方のカラオケ行きたいという言葉により、布買いに行くAさん・Kちゃんとは一時お別れ。一同橋経由での渋谷移動決定。
カラオケ三時間、最初は浮気も元のPIERROTに戻る我ら(笑)
Kちゃんが橋に戻ってきたとの事で急いで帰宅。
橋に着いて、友人見つけて
久々の大騒ぎ。
凄い懐かしかった。
そうそう、これこれ!
みたいな?
やっぱり橋は第二の故郷だな(痛)
同時にコメントも一緒に書いて。
でも武と潤々しかかけなかったな。
内容一緒になっちゃうし。
でも自分のその時思ってた事全部書きました。
途中で知り合いさんが書いたイラストに悶えてコンビニへコピーをしに走る一面もあり、同人話で大騒ぎ、武霧は有るのか無いのか、リズム隊がどうだとか潤バに3Pするかとか人が少なくなった(っちゅうか表に誰も居なかった)橋で何故か徒競走とか。
誰か靴で天気予報したら大変な事になってたし。帰る時には「お先に失礼しまーす!」「お疲れ様でーす!」とか妙に体育会系なノリだったりとか。
皆さん潤バも集まるようで。
再会を約束してどんどんと減っていく。
もう
全部が懐かしかったね。
最近は橋は遠のいてたけど、でも凄い行きたい欲求に駆られるんだ。
喜怒哀楽、全てがあの場所では「特別」になる。
そして完全に身内しか居なくなった橋での清掃作業も懐かしい。
今回は表工事中だったから其処迄多くなかったけどね。
昔は橋行く時は必ず45Lのゴミ袋数枚持参してたなーとか。
虜時代のグループ、皆終電組だったから。
当時はまだ23区外で23:55の山手乗らないと間に合わなくて、
でも最後迄残ってゴミ回収して帰ってた。

念願の武コス、これを機に橋通いまた始めようかな。
カメラマンのおっちゃん達も居るし、
これを機にPIERROTコス皆橋復帰しないかな?
誕生日だけじゃなくてさ。
年齢層も高くなって、世代交代も続いて
コス上がる人も増えて
日曜日に集まりにくくなってるのもあるけど。
でも今はPIERROTは無いわけで。
それは事実。
今は、ね。
まだ諦めてないよ?
お兄に「お前達は日本一のFANだ!」といわれると共に「諦めの悪さも日本一」と嬉し悲しな称号を貰ったピエラーですから。
決めたんだ。
ソロ活動、どれも一回は見に行く。
色んなサイト見て思ったんだ。
どのバンドもそうだとは思うけれど、でもやっぱりラーは強い。
解散が終わりじゃない。
FINALEもそれは次の物語の序章に過ぎない。
それならば
次の舞台の物語を見ようじゃないか。
でもそれ以前に、
思うのは
どれだけソロに流れたとしても
根底に流れるのは
「PIERROT」という「先導者達」の「追随者」である、という事。
LIVEの無い今、大勢で集まれるのは東京じゃ橋位じゃない?
仲間内だけじゃなくて、
それこそ友人が鼠算式に増えていくように
あの空気はLIVE前の会場と似ているんだ。
集会で集まりたい。
それで何するわけじゃない。
ただ語り合えれば良い。
PIERROTはラーが居る限り進むんだよ。
音源出さなくても
LIVE無くても
停まらないんだ。

痛い事言ってる?
それでも良い。
12日の日記で書いたような事がなくても
きっとそれだけで
俺は生きていける。

やっぱり「お疲れ様」も「有難う」も言えないです。
少なくとも俺の中でPIERROTは終ってないから。
言いたい言葉は一つだけ。
そうただ、
「おかえり」
と。

自己満足?上等だ。
コスは所詮自己満足の愛情表現。
メンバーが望んだ事じゃない。
それでもやりたいからやるんでしょう。
自己満足だからこそ「自己」が「満足」できるように
似るように頑張るんでしょう?

所詮は夢物語なのかもしれない。
でもそれはそれで楽しいと思わないかい?


神薙 絳屡 |MAIL

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