針の穴に通された光
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2005年01月09日(日) そこに到る理由

ユートピア。
誰もが不自由なく、思うがままの人生を送ることができたなら、
おそらくそれは地獄と呼ばれるに違いない。
適当な不自由こそが、生活を形にすると思うからである。
自由を見出す過程と、そこに到るための根本的理由としての
不自由が大事なのではないだろうか。
生と死が表裏一体なのと同じように、自由と不自由は表裏一体。
不自由がなければ、本当の自由なんて誰も語れない。


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