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- 2005年06月17日(金) 自覚する事と、揺れる事。
誰だって、ずるい。
誰だって、卑怯だ。
誰だって、自分に都合の良い自分が好きだし。
誰だって、自分が正しいと思えると安心する。
私もそうです。
はっと気がつくと、ずるい事してる。
面倒だから、都合のいい解釈をする。
理解できないから、“人は人、自分は自分”と放棄する。
相手を想って、嘘をつく。
喧嘩したくないから、妥協する。
些細なことだから、と、とっさにそうする自分が居ます。
恋人や親友や周りの色んな人を大事にするのはとても大変です。
とても難しい。
自分にも他人にも、完璧を求めるのはとても窮屈なことだと思う。
“考えすぎ、もっと気楽に”
ある範囲内では勿論そう思う。
自分以上の事をするのは、すごく大変なことだから。
だけど、絶対に絶対に手を抜いたらダメな事がある。
絶対に、絶対に。
それは“自分”に対してです。
自分に真剣になれない人は、誰のことも真剣になれないと思う。
絶対に、絶対に、自分にだけは、本気でいけ!と思う。
自分が何故そう思うのか。自分が何故そう感じるのか。
自分にだけは嘘はつくな。
誰かに嘘ついても、誰かに見栄張っても、誰かに妥協しても。
それが嘘である以上、それが見栄である以上、それが妥協である以上、自分ではそのことを
知っていなくちゃいけないと思う。
“自分のことは自分がよくわかってる”というのは“自分の思っている自分が自分です”っ
て宣言しただけで、本当の自分っていうのは、自分の中“だけ”にあるんじゃない。
『自分は赤だ』と思っている人が『あなたは青だね』と言われると、違和感があるだろう。
本当は青に憧れていたなら嬉しいだろうし、青は嫌いだと思っていたならイヤな気持ちにな
るだろう。
だけど、何故相手には自分が青に見えたんだろう?と思わない限り、自分の中にある“青”
の要素は見つけることができないと思う。
この場合『自分は赤だ』と思う基本設定が大前提であって、黄色と言われようが青と言われ
ようが緑と言われようが、『自分は赤だ』という基準に沿って、嬉しかったりカチンときた
り悲しくなったりするんだと思う。
その『自分が赤だ』という設定が、その都度揺れるべきだと思う。
例えば、自分が思っている自分とは全然違う自分を指摘された時、やっぱり無条件に否定し
ちゃいけないと思う。
貴方は何も分かっていない、と否定するのは簡単だけど。
貴方は何も分かっていない、と否定した時にもし“怒ってる”んだったら、自分がどうして
怒ったのか、どうしてそう言われたらイヤだったのか、一々考えたらいいと思う。
すごく面倒で大変なことだけど、もしも相手が真剣に話してるってことが分かったら、聞い
てほしいと思う。
めんどくせーなーと思ったら、それでもいい。
一々面倒だから適当でイイ、って、自分で自覚してたら、しなくていい。
今日思ったこと。
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