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夢と言うのは 必ず見ているものなんだそうである。 だから夢を見ないと言う事は実際にはなく 見た夢を憶えていないだけと言うだけであるらしい。
夢を見ないなと感じる月日がしばらく続いて また普通に 眠ると夢を見始めるようになった時から 自分の中で夢の意味は少し変わっていた。
忘れていた事を 夢の中で思い出す。 それは人に関する事であったり物に関してであったり。 似た内容を 幾度も繰り返し、みる事もある。 やがてその夢から遠ざかって行く時は、対象の人や物から 遠ざかったから、と言うのでは必ずしもなくて 自分の心に、しまい棚が作られ 整理が完成した時だったりする。
「あの人とは以前何か話した。それは何だっけ」 頭の中に残したまま眠ると、その人がはっきりそれを伝えて いるところで目が醒めたりするのだ。 それが 事実とずれているのかは判らない。そして必ずしも それほど重要な事でもない。
もう一つ、夢には自浄作用があるのかな、と最近は思っている。 学校の校庭、昔の遊び場、見慣れた場所(夢だから実際は違うのかも) に一緒にいる人は、現実では二度と一緒にいる事はない人だ。 その人の笑顔もおそらく 一生観る事はないのだが、起きると 夢の記憶が残っている。忘れないためではなく、忘れるために 見る夢もあるのだろう。夢は柔らかくその人を再生し、薄れさせて 行ってくれるのかも知れない。
伸びた爪を切り、部屋の掃除を真面目にやって、いつもより長く お風呂につかってみる。イヤンだけど鏡を見る。
夢は不思議だ。出演者を振り分ける。 大人になってからの夢には嫌いな人間は出て来ない。 例えば実際に会った事のないネット上の知り合いでも、親しい人は 起きた時には憶えていない 誰かの姿を借りて登場したりするものだ。 けれど大嫌いな人間は絶対に出て来ない。
夢の中の笑顔は柔らかく、優しいが全てが希薄だ。 それがいつでも見られるのだと言う確かな気持ちに変わった時 その人の夢は見なくなる。 その人が夢でしきりに話し掛けて来る事はなくなり、気が付けば 日常で声を聞いたりしているものだ。
その逆もあると言う事なのだろう。 夢は癒してくれる。基本的には生きるために見るものなのだろう。
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