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2007年03月04日(日) 悼む。


池田晶子さんが亡くなられた。享年46歳。
週刊新潮で『人間自身』(『死に方上手』改)を連載しておられた。
この人の 孤高さと、綺麗な姿勢で物を見るような眼が好きだった。
急な事で驚いた、先週号には確かに連載が載っていたからだ。
確かめてみたら、やはりあった。
原稿は 少し前に渡してあったものなのだろう。
読み返すと、穏やかに春を待ち望む姿があった。
この人らしからぬ文であるとも言えた。癌であったと言う事だが
病床で書かれたものだったのだろうか。
絶筆は、誰に何を問うのでも説くのでもなく、ただ静かに、何かを待って
いるようなそんな文章になっていた。
お悔やみを申し上げたい。


私が勤め人だった頃、澁澤龍彦氏が急逝した。 享年59歳。
翌日の朝礼で社長の訓話にその話が出たので大変良く憶えている。
文筆家の訃報に、社長が朝礼で触れる事は多くはなかったと思う。
自分の記憶ではこの時くらいである。
社長にとっては特別な作家であったのだろう。会社の行き帰り
地下鉄の中で、当時私は 澁澤龍彦を読んでいた。
社長の事は 実は好きではなかったので、好きになれそうもない人が
同じ作家に特別な思い入れを感じていた事を 当時は少し不思議に
感じたものだった。
読書中の動脈瘤破裂、死は一瞬の事であったと言う。


Someday never comes (いつかなんて日は決してきやしない)
C・C・Rの名曲の一部を登場人物に語らせていた人は、遺作となる
作品の中で「描きたい物がなくなった」と、やはり登場人物に
言わせている。
その人と同じ年齢に、自分がなる日が来ると言う事自体が
私にとって『決して来やしない』日であるような気がしていた。
想像も出来ないくらい、遠い事のように思えた。
Never comes な日々の中で、数少ない 迎える事になった日。
三原順 (漫画家) 享年42歳。


無くした物は何もない。だけど得たものはある。 今もここに残っている。


訊ねられてもいないのに、この頃このフレーズが気に入っていて
あちこちで使ってる。
センスもまとまりもなく 説得力にも欠けるけど自作だ。
読んで悼んで、生きて、この歳でこんな陳腐しか言えないものかと
思うけど、これが精一杯で、これで抵抗する。

出来るところまで。 残った物はある。 それを信じてる。 ぎりぎりまで。



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