のん日記
DiaryINDEXpastwill


2005年05月05日(木) 別れない理由

私は信号も喫茶店もないド田舎に生まれた

母は美人で優しくて明るい人で 自慢の母だった

父は酒飲みで賭け事と女が大好きだった そんな父が大嫌いだった




中3の秋 母に高校進学の話しをしたら

「あんたを高校へやる金は家にはない!」そう言われた

優しい母の厳しい顔を初めて見た

後で聞けば”給料日にお父さんが全部マージャンですってしまって喧嘩中だったのであんな事を言ったんだよ”との事だったが 幼い私は母から見捨てられたのだと思い 高校進学は諦めて家を出て自立しようと思った

看護師の道を選んだのは15歳で自立できるからだった

病院の寮に入り朝5時から働いて午後から看護学校へ通い夜は定時制の高校へ通った

病院から毎月2万5千円もらって高校の学費を払った

家からの援助を頼んだ事は1度もなかった

貧乏な家に生まれ 貧乏な学生時代を送り 金に執着するようになった

母の事は相変わらず大好きだったので母のような母になりたいとずっと思っていた

と同時に父のような男とは絶対結婚しないぞ!と思っていた



付き合う人とはいつも結婚を考えた

お金があって子供のために美形の人が理想だった

私の結婚観に愛はなかった というよりいらなかった



6人と付き合っていた時 今の夫と知り合った

夫は市内に200坪の土地があり自営で家族でお店をやっていた

田原俊彦似で背の高い まさに私の理想とする男だった

知り合って11ヶ月で結婚 恋愛期間は短かった

義父が私たちの結婚を急いだ(ただで使えるパートさんくらいに思われてた)



私の両親に結婚を報告に行った時 夫は

「お嬢さんをください」と言えなかった

無口といえば聞こえはいいが たんに情けないやつだったのだ

父が気を利かせて

「OO子をもらいに来たんだろ?」

そう言ってくれたので夫は言わずにすんだ

「俺はお前を親父さんにくれとは言ってない 親父さんがくれるって言ったからもらってやったんだ」

いまだにそう言う夫が憎らしく思えるときがある(^^;



母は

「お前が結婚したいというなら反対はしないよ でもね離婚は許さないよ 私だって子供のために離婚はしなかった

今こうやってお父さんがいてお前もよかっただろ?死別はともかく生きていて親と離れて暮らす子供にはさせないでおくれ 私の孫にはね」


離婚は絶対しないよ

そう母に誓った

結婚は子供を作るために手段だった

可愛い子供が欲しい 経済的に心配をしたくなかった

だから夫や義祖父母や義父母がどんな事をしてもどんな事を言っても私は耐えれた



あれから20年経って

義祖父は太郎が生まれた年に亡くなった

たった2年の付き合いだったけどずいぶんいじめられた

義祖母は義祖父が亡くなってすぐ義祖父の財産4000万円持って九州の実家に帰った

義祖母は義祖父の3番目の奥さんで義父とは血の繋がりがなかった

義父は7年前に亡くなった あれだけいじめたくせに最後は私に”世話になった”と言って死んでいった

義父が死んだ時泣いたのは私だけで 夫とお義母様とお義姉さまはヘラヘラ笑っていた

不況でお店もたたんで 私と夫は会社員になった


__________________________



夫の事は好きかと聞かれれば 一応好きです

子供の父親ですからね 男としては最低の男ですけど私が結婚した男です

離婚したいと思った事は1度もありません

死ぬまで面倒をみようと思ってます



離婚は死別のみです



私は結婚する時 夫を幸せにしたいと思いました

そして出来る限りの事をしてきました

結果的に自分もかなり幸せなのでこれでいいと思ってます



「お父さんは私じゃなきゃ駄目なのよ あの人の面倒をみれるのは私くらいなもんよ」

母がいつもそう言ってました

私も母と同じような人と結婚して同じような人生送ってます

父も大病をしてからめっきり大人しくなりました

今は夫婦で仲良く旅行三昧です

あんな夫婦に・・・・



なりたくないなあ(^^;


早死にしそうな夫がいつ死んでも それこそ明日死んでも 私が後悔しないようにできる限りの事をする


そんな風に毎日過ごしています




のん BBSMAILHomePage

My追加