
JR脱線事故から一週間。
あの日からテレビや新聞は活気付いたように思える。
事故も傷害も事件も犯罪も強盗も自殺も誘拐も、
何も無い世界には新聞なんていらないのかもしれない。
メディアはここぞとばかりに飛び出してきて、活気付く。
さも事件を待ってたかのように。
今回の事故は考える要素に溢れていたものだと思う。
脱線事故やハイジャックというものがあったのはこれが初めてではない。
一年に一回、それ以上起こっている。
それでも今回の事故が他とは違うのは・・・「物理的な距離」だと思う。
アメリカで起こった911と、出身高校で起きた飛び降り事故(事件?)
「物理的な距離」と「精神的な距離」は比例の関係という良い例だと思う。
実際、関西学院大学総合政策学部に通ってる友達は通学経路だった。
甲子園大学に通う友達も、未だ不通のため阪急で通ってる。
伊丹といえば祖父母が住んでいたり、高校時代の友達がいたり。
尼崎出身の後輩もいる。
こんな身近でないと考えさせられない自分はおかしいのだろうか。
追悼の念はあるけど、やはり他人事になってしまう。
「結局全て、自分が一番」
こんな半投げ槍で悲しいまとめ方をしてもいいのかな・・・
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