ステテコ日和
地球に優しい、目にも優しい
Yes,I love ego☆
No,I love ero

2006年07月26日(水) やまない努力




55%攻撃論。

あまり耳にしない言葉だ。

それもそのはず。

これは伊勢丹に根付く精神論なのだから。

内容は至って簡単。

可能性が半分(50%)を少しでも上回ったら「とりあえずやってみる」

サントリーなんかの企業理念なんかともよく似ている。


では残りの45%はどうやって補うのか?

答えは至ってシンプル。

「努力」のみである。


僕はこの「努力」という言葉が好きだ。

もちろん言葉には何の意味も持たないが。

狭い狭い実社会で何よりも力を持つと信じている。

精神論の占めるところも大きいが、やはり努力次第でなんとでもなる。

才能だけがモノを言う芸術などに比べてスゴクわかりやすい。

経験上、高校受験も大学受験も「努力」に比例する。

「頑張らない」で最大限の効果があるように見せる人も多い。

でもそういう人も「影での努力」、
そして「表に見せない努力」という人一倍の努力をしている。

才能だけでという人はいないというのが私見だ。

だから僕はある程度以上の努力をしてきた。


また、努力は形に実らなくてもプロセスとして評価される。

これを知っているのと知らないのでは大きく異なる。

もちろん努力が実らないことも多々ある。

多々ある、というか大概がそうだろう。

でも世間の定説は「やまない雨はない」

つまり「報われない努力はない」

努力したものが馬鹿を見る現実を少しでも覆い隠す。



松井秀樹は良い言葉を残している。

「僕は努力を続ける才能を持っている。」

彼の戦っているフィールドは「野球」

努力がものをいう。

とは中々言い切れない。

やはり運動面における才能は否めない。

でも彼はそれをも含めて「努力の才能」と評している。


松井は「努力の量」を闇雲に言ってるのではない。

「努力の方向」と「努力のタイミング」

自分自身で考えなければならない。


そしてそのためには「努力すること」に対して前向きである必要がある。

「努力すること」を隠す、もしくはそのように見せかける。

それを見破れない人はよほどの馬鹿だと思う。


大学時代の友人が「頑張らない」ことを頑張っていた。

これは一見愚かな考えだと見える。

でも実は考え抜いた末の逆説的レトリック。

「頑張らないことを頑張ること」の難しさ。

それを理解したうえでの言葉だと深く心に残っている。


「頑張らないより頑張る」

僕みたいな不器用な人間には簡単でちょうど良い。


写真:『日曜日の応援〜子供たちの戦い〜』(京都市右京区にて)


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きむそん

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