
55%攻撃論。
あまり耳にしない言葉だ。
それもそのはず。
これは伊勢丹に根付く精神論なのだから。
内容は至って簡単。
可能性が半分(50%)を少しでも上回ったら「とりあえずやってみる」
サントリーなんかの企業理念なんかともよく似ている。
では残りの45%はどうやって補うのか?
答えは至ってシンプル。
「努力」のみである。
僕はこの「努力」という言葉が好きだ。
もちろん言葉には何の意味も持たないが。
狭い狭い実社会で何よりも力を持つと信じている。
精神論の占めるところも大きいが、やはり努力次第でなんとでもなる。
才能だけがモノを言う芸術などに比べてスゴクわかりやすい。
経験上、高校受験も大学受験も「努力」に比例する。
「頑張らない」で最大限の効果があるように見せる人も多い。
でもそういう人も「影での努力」、 そして「表に見せない努力」という人一倍の努力をしている。
才能だけでという人はいないというのが私見だ。
だから僕はある程度以上の努力をしてきた。
また、努力は形に実らなくてもプロセスとして評価される。
これを知っているのと知らないのでは大きく異なる。
もちろん努力が実らないことも多々ある。
多々ある、というか大概がそうだろう。
でも世間の定説は「やまない雨はない」
つまり「報われない努力はない」
努力したものが馬鹿を見る現実を少しでも覆い隠す。
松井秀樹は良い言葉を残している。
「僕は努力を続ける才能を持っている。」
彼の戦っているフィールドは「野球」
努力がものをいう。
とは中々言い切れない。
やはり運動面における才能は否めない。
でも彼はそれをも含めて「努力の才能」と評している。
松井は「努力の量」を闇雲に言ってるのではない。
「努力の方向」と「努力のタイミング」
自分自身で考えなければならない。
そしてそのためには「努力すること」に対して前向きである必要がある。
「努力すること」を隠す、もしくはそのように見せかける。
それを見破れない人はよほどの馬鹿だと思う。
大学時代の友人が「頑張らない」ことを頑張っていた。
これは一見愚かな考えだと見える。
でも実は考え抜いた末の逆説的レトリック。
「頑張らないことを頑張ること」の難しさ。
それを理解したうえでの言葉だと深く心に残っている。
「頑張らないより頑張る」
僕みたいな不器用な人間には簡単でちょうど良い。
写真:『日曜日の応援〜子供たちの戦い〜』(京都市右京区にて)
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