オリビエの日記

2005年09月15日(木)    『めざましテレビ』の剛君

    
    『めざましテレビ』生出演の剛君。
   眠そうですが爽やかで、話す声は正統的なアナウンサーばりの美声です。
   最近の剛君は言葉に力があってなんだかとても頼もしく見えます。
   それにシックな装いのときの剛君はとてもセクシーです。

    9月17日の4時間番組、『日本の歴史』の番宣にやってきた剛君。
   とてもしっかりとした口調で話します。
   パーソナリティーの大塚さんが笑顔でおっしゃいます。
   「今日はしゃべりますね」
   そう、いい調子です!

    歴史に興味ある人、興味ない人からとったアンケートで、
   「興味のある歴史上の人物」ベスト3を書いたフリップを出した剛君。
   最初に「興味のない人ベスト3」のフリップだったのですが、間違えて、
   「興味のある人のベスト3」と話してしまった剛君。
   「興味のある人」のフリップで説明するときに間違いに気づきました。
   
    歴史上の人物で誰に興味があるかと訊かれた剛君。
   「小早川秀秋」と答えました。
   「わぁー、いいぞ!」私は心で叫んだ。
   「渋いですね〜」
   「関が原の戦いで、19歳の少年がですね、大きな合戦で勝敗を分けるという〜」

    この番組を通して知ったという小早川秀秋。
   2000年の歴史の中で小早川秀秋を挙げるとはなんともいわれない感激。

    私も小早川秀秋に興味を持っていたのだ。
   秀秋は秀吉の正室、北の政所の兄の子として生まれ、
   2歳のときに子どものいなかった秀吉の養子になった人物。
   後に秀吉は自分の甥の秀次を養子にし、側室の淀殿に秀頼が生まれると、
   邪魔になった秀秋を小早川家の養子として追い払った。

    秀吉が朝鮮出兵第2陣のときの総大将として出陣。
   このとき、秀秋16歳。
   拠点にしていた釜山から、
   敵に追い詰められた加藤清正を助けるためにウルサンに駆けつけ、
   敵を打ち破り戦果を挙げた。
   ところがこれが秀吉の逆鱗にふれた。
   このあと家康に特別なはからいを受けた。

    関が原の戦いのときは19歳。

    合戦後、家康から51万石を与えられ、領土を再建させた。
   晩年、秀秋は酒に溺れ神経を病み、錯乱状態で人を切り、家臣は逃げていった。

    秀秋は孤独の中で原因不明の病気で衰弱し、この世を去った。
   そのとき、わずか21歳。
   暗殺説もある。

    「(秀秋を)演ってみたいでしょう」と言われると、
   「19歳ですからね〜」とテレたような剛君。
   「イケます、イケます」の言葉に、
   「演ってみたいですね〜」笑顔の剛君。

    ぜひ、素敵な秀秋を演じてください。
   関が原の合戦のときの苦悩、その後、疎外されていったときの孤独感。
   剛君なら素晴らしい秀秋を演じることでしょう。


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オリビエ [MAIL] [水平線の海と空]

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