2005年05月14日(土) |
莞爾トシテ笑フ、韓国料理屋の中で |
職場の同期のおんなのこ(ギャル)と毎日のように夕飯を食べている。
彼女がものごとを見る目は思い込みや偏見というものが全く無くて、 とても素直に自分の感覚のみで世界を捉えていて、 そして自分が感じることを初めから振り分けて理解しようとするのでなく、 混沌を混沌のままとりあえず取り込み、 恐らく自分でも無意識のうちに独自の回路でとても繊細に処理していて、
まあ、とにかく、とても魅力的な女性なのです。 小生とはタイプが全く違うので、尚更。
さて、その子と今日も夕飯を食べに行きました。 恐らく自分ひとりでは絶対に入らないであろう怪しい通りの怪しい韓国料理屋に入ったところ、 そこには少ない人数の、これまた自分とは世界が全く違うであろう人々がぽつぽつと集っていて、 それぞれがそれぞれの人生の一部分を様々な言葉で語っていて、 そしてオモニのつくる石焼ビビンバも、チヂミも、トッポギも、考えられないくらいおいしくて、 ビールは飽くまで冷たく、 掘りごたつ式のテーブルの下には青竹踏みがふみふみできるようになっていて、 これまたとても魅力的な空間でした。
オモニは恐らく私の母と同じくらいの年齢と思われるのにとてもとてもきれいなひとで、 美しさの秘訣はなんですか?と聞いたところ、 彼女はあまりうまくない日本語で、
しあわせなことをかんがえること いちにちのはじまりには鏡のまえでわらうこと おこったときはいったんがまんして、相手のいうことをさいごまできいてから、そしてからにっこりとわらって、私はこうかんがえるのだけど、とはなすこと ゆめのことをまいにちまいにちわすれないこと いちにちのおわりには、かみさま今日も今日といういちにちをありがとう、明日もいいいちにちをお願いします、と声にだしていうこと 冷たい水で顔を洗うこと
を教えてくれました。
なんて、深い言葉たちなんだろうと思って。 このひとは異国で、どれだけ苦労してきたのだろうということを思うと。 巧みな言葉が時にいかに空虚なものであるか。
熱心に、話し終えると、オモニはにっこりとほほえんで、 ああ、やっぱり笑う女性は美しい、と改めて思いました。
卑屈になることや愚痴を言うことは簡単だけれど。 私たちは時に愚痴を言い合うことを解りあっていることと勘違いしてしまうけれど。 やっぱりつよくてうつくしいにんげんになりたいです、わたしも。
それにしてもチヂミの美味さが半端ではなかった。
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