感情という乗り物...めがね

 

 

コーヒー中毒 - 2005年05月23日(月)

こうやって記憶を辿って書いていても何も得るものがないし一貫性がなくてつまらない。ただだらだらしているようなものだ。
何かしていたいという欲求はいつも自分の中のある部分を占めていて、何かでかいことをしたいという欲求も同じようにある。
じゃあ何かを成し遂げたいと本当に思ってるか?と聞かれても「はい」と答えることだけしかできないような気がする。考えたいっぽうで何もイマジネーションが浮かばず苦しんでいたりする。
繰り返して失敗して学んでいくのが普通かもしれないけどただめんどくさい。案外病んでいる自分を知ってしまう。
最近歩くことが多い。隣駅から家まで時間あればだいたい歩く。その歩くエネルギーみたいなものは絶えずある。誰も知らない。自分だけが知っている。
持ち腐れしている。正しさを与えられず時間だけが過ぎて行く。肝心なものがつかめず空を斬ってみては実感のないことを知る。
繰り返せば何か変わる気がするような一歩も進んでいないような何かを感じとっているような何か学んでいるような悩んでいるようなめんどくさいようなこんな程度の。人見知りばっかりしていれば難しい顔をしているかもしれない。
写真を先生にみてもらったら学科を、建築なのか?と聞かれ理系の感性(というか計算好きな理詰めの根性)らしき評価をされてどうも何かから抜け出ていないような曖昧な気持ちになる。
何も考えずにいきたい。


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