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- 2025年01月24日(金) 混沌としていますね~ 世界情勢は言わずもがな、日本国内もですし、古巣もベイエリアもなんですよ。 (急に狭いな) しかし何だかんだ言っても、庶民の日常には何の影響も無いんだなと思ったり しています。 私1人にできることなんて正味の話何にも無くて、結局のところは毎日を 真摯に誠実に生きていくことくらいしか無いんだなって実感しています。 毎日を真摯に誠実にっていうのは、簡単そうで案外難しいもんなのかもしれ ません。できてるつもりができてないこともあると思うし、人によっては 「え、そんなことくらい?」と思うでしょうし、「だって皆やってるじゃん」 と思うようなこともあると思う。 私は、「私こそ完璧である」だなんて思ってはいないので、毎日が学び だなあ発見の連続だなあと思いながら過ごしています。 なので私は私の見える範囲で「真摯に誠実に」生きていこうと思ってます。 それがいちばん分かりやすいのは、「交通ルールを守ること」ではないかな と思っています。 マナーとかエチケットとかではなく、あんなにも禁止事項が分かりやすく ルールとして明文化され、尚且つ庶民の生活に身近なものって無いのでは。 *信号は必ず守る *自転車で歩道を走行しない これだけとっても、100%守ってる人って案外少ないんじゃないか。 ちなみに我が家は、いわゆる首都圏在来線(東京駅を含む)の駅から徒歩 10分という、わりとゴミゴミっとゴチャゴチャっとした地域の住宅街に あります。 自宅マンションから最寄りの駅に行くには幹線道路を1本渡らねばならず、 そこから駅に向かうまでのいちばん便利なメインストリートはなんと 一方通行となっており、原則自転車の走行はできないことになっています。 なのに、そこを通る自転車の多いこと多いこと。 ゴミっとゴチャっとしてるもんで、通り沿いのコンビニには駐輪場なんて 無いんですけど、必ず数台ずつ止まってますもんね。 当たり前みたいに。 とくに酷いのは某大手古本屋の前でして、きっとあそこの利用者じゃない 人もあそこに止めてるんだろうなあって思います。 つまりは自転車って、全然便利な乗り物じゃないんですよ。 交通ルール守る人ほど、自転車ほど乗りにくいモンは無いんですよ。 ただ安くチャリ買って、歩くより楽だからってチャリ乗って、本来禁止され ている通りを通って、駐輪すべきではない場所に止めて、車が来てない からって赤信号でも平気で渡ってる人は、私の目から見たらものすごく 浅薄で視野が狭くて自分のことしか考えない人です。 その瞬間は何も起きていないように見えるけれど、結局は一事が万事で その人は思考自体がそういう方向性であり、そういう人生を送っている、 というだけのこと。 でもまあ、別にいいんじゃないですか。 自分で選んでチャリ乗って逆走して駐輪違反してるんですから。 とりあえずは事故も起こしていないし、被害者はどこにもいない。 その瞬間は、特に誰に迷惑をかけているわけでもない。 そういう人を見かけたら、私は「うわぁ…」とは思いますけども、自分には 関係のないことなので「ちょっとアンタ!!」と胸ぐらつかみに行ったりは しません。 もしかしたらその人は信号無視をしたおかげで私より一本前の電車に乗れた かもしれないし、遅延する電車に乗らずにすんだかもしれないし、違法駐輪 することでとりあえずは駐輪代は浮いたかもしれない。 もしかしたら私は愚直に信号を守ったせいで遅延する電車に乗るハメに なって仕事に遅刻するかもしれないし、毎日毎日駐輪場に自転車を止める せいで日々の小銭は無くなっていくのかもしれない。 ところで私の好きな言葉に「徳を積む」って言葉があって、私は日々、この 小さな徳を積んでいこうって思ってるんですよね。 多分、多分だけれど、一生においてはポイントを貯めるよりも徳を積んだ ほうが幸せになれるんじゃないかなと思って、私はそうしてる。 私は、私のことをいちばん大事にしていて、その次に自分の家族を大事に していて、その次に身近にいる仲の良い友人たち、その次に旧姓の家族、 という順に大切に思っています。 そしてその外側に、ママ友やPTAの役員、学校や塾の先生たち、地域の人 たちがいるっていう感覚です。 優先順位はあれど、全部大事なことには変わりない。 皆が皆、自分の大切なものを大切に思っているだけでは、この世の中は 良くならないんでしょうかね。 少なくとも命の奪い合いは止められないんだろうか。 イヤなことはイヤだと言って良いし、イヤだと言う人に無理強いはいけない。 でも、イヤなことを請け負わなきゃいけないこともあるし、人生にはそういう 時期もあるにはあるんだと思ったりもする。 何が許されて、何だったら許されないのか。 それは、ずーっと同じ組織・同じ立場にいると、だんだんと見えなくなって くるものだとも思う。 だからって好き放題して良い、言いたい放題言って良いってことでもない。 って書きながら、私は自分の人生を好き放題しているし言いたい放題言い ながら生きてきたよなあとも思ったりする。 何だろうねその線引き。 さらに話は逸れるけど、そもそも「tweet」という単語を用いたのが全ての 失敗だったのではって勝手に思ってる。 日本語では「つぶやき」と訳されているので、非常に狭い感覚でまるで 井戸端会議のようにまるで目の前の友人にボソッとつぶやく感覚で色々な ことを世界中に発信しちゃう人多いんだろうなあって思う。 「shout」って単語使って、Twitterじゃなくて「shoutter」ってネーミング にしておけば、もうちょい人目を気にした内容しか投稿されなかったかも しれないよね。 未成年の主張みたいな淡くて爽やかなプラットフォームになってたんじゃないか笑 鳥のマークじゃなくて、拡声器を模したピクトグラムとかね笑 ダメか笑 それこそ暴言で溢れちゃうか笑 ということで、日常を大切に、真摯に誠実に生きていこうと思います。 私を取り巻くすべての人々に感謝しつつ。 ...
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