虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2015年10月09日(金) 自殺への希望、再び。

ああ……、昨日は希死念慮は影を潜めたと、そう書いたばかりなの、に。

 9時半頃に目が醒めたっけ。木、金はいつもより4〜6時間くらい早く起きるのは、旦那氏が朝方に(6時過ぎとか)CIVICに乗って休日の朝を満喫しに行き(それ自体は勿論結構なことだが)当然またCIVICで帰宅するわけで、うちのワンコたちがエンジン音に条件反射で威勢よくそしてけたたましく迷惑な程に、どんな目覚ましよりも強力な吠え声で、僕を起こす意図は全くないが、結果的に僕はびっくりしすぎてショック療法的に完全に目が覚めてしまう。この2日間、「またかよ」と心の中で舌打ちをした。僕の平穏な睡眠の邪魔をしやがって。でもねわかっているんだ。別に旦那氏の習慣が悪いわけでもないし、未来たちが吠えてしまうのはむしろ僕の躾に問題があるし、一番の問題は僕が9時半でも寝ていたいんだと、むしろ9時半なんか起きる時間じゃねぇと、そんな非常識な僕がただ厄介なだけだと。

 毎週恒例の様に僕は未来たちに起こされたわけだが、昨日とは打って変わって寝起きの憂鬱加減が半端じゃなかった。旦那氏が静かにコーヒーを淹れて持ってきてくれる。向かいの席に座って静かにしている彼は寝起きの僕に気を遣っている様子だ。僕はとりわけ寝起きの悪さも生半可なものじゃない。朝のコーヒータイムを邪魔されるような事態が発生しようものなら丁重に機嫌取りをされない限り一日中不機嫌でいられる自信がある。そんな話はどうでもいいとして、寝起きの悪さ+αで何もかもがどうでもよく思える様な、そもそももっと寝ていたい気分だし、寝る目的というのはつまり意識を限りなくなくしてしまう為であって、シラフではとても健全な言動が取れるとは思えない状態だった。

 何時頃からか、僕は「死にたい」とか「自殺」などという言葉を連発する様になった。

 この生きづらさは、僕の感じる人生の生きづらさは、例えるなら苦手な水泳の授業を思い起こさせる。水の中はただでさえ動きづらい。おまけに僕はカナヅチだった。高校の授業では悲惨なことに水泳があった(とある高校にはプールがないという天国的な高校もあるというのに)。25mをクロールで泳げた試しがない僕だが、この時の試験は300m平泳ぎだった。クリアできなかった場合、泳ぎきるまでは野外水泳の時期を過ぎても試験続行するとのことだった。
 余計な脂肪も使えそうな筋肉も備えていなかった僕は、息継ぎがうまくできない、足の方から沈んでいってしまうし、一向に前に進まない、苦しい、足をつきたい、僕は水の中で生息するのには不向きな生物だ。だが、300m泳がなかったら11月になっても試験を続けるんだろう?冗談じゃない。
 僕は泳ぎ切った。本当は足をついてしまいたかった。陸に上がった時の安堵と言ったら。
 泳げなかった生徒が後に本当に呼びだされたかというとNOだろう。


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