虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2016年01月22日(金) マゾッホ。

両親の教育によって僕はマゾヒストになったのではないか、と。


■歯磨き完了(連続16日目)。


−23:57

 服薬は1時間前に済ませたが、未だ角ハイを飲んでおらん。日記を書く前にちと作ってくるとしよう。


 今日も角ハイが美味い。お弁当作りも1週間ぶりに再開できたことだし、仕事上来週が始まろうとしている今日の滑り出しは好調と言っても良い。


 タイトルだが、そう言えば、と、ふと考えたのだ。両親は僕に教えたいことなどあったのだろうか。どんな人間になって欲しいとかいう願望みたいなものはあったのだろうか。残念ながらその類の話を聞いたことは微塵もない。気づけばロクな学歴も職歴もないおばさんが誕生している。

 母は(カルト)宗教信仰者だったから、その意味ではきっと僕にも信者になって欲しいと思っていたことは間違いないのではあるが、そういう意味での教育なら、僕は御免被りたいものだと幼心に拒否反応を示していた。しかし親の庇護のもと生きられるような不利な条件下では反抗することが難しかった。鞭を振るわれることのないようにケースバイケースで言いつけを守ったり隠れて守らなかったり、毎日が結構スリリングだった。

 6年生の時にはもう既に希死念慮があった。感覚は鈍化した。虐められても、誹謗中傷に遭っても、全てスルーしながら学校に通い続けられたのは、それは離人感によって正常な感覚がなかったからだろうと今考えればそう思うのだった。学校は行きたかったし、図書館はそれこそ楽園だし、勉強は好きだったから虐めごときで休むのは許せなかった。そもそも家には鬼がいる。あの時選択肢としてどちらのほうが未だマシな安寧を得られるかを考えれば学校しかない。


 自分は悪い子、ダメな子なのかという謎は根拠もなく確信に変わる。良いところがないのだから仕方がないのだ。


 罪には罰を、それを地で行く母と母の宗教団体だった。父も気に入らないことがあれば暴力を振るったり声を荒げる人間性の持ち主だった。


 自分を責めたくなるような失敗をした時などに僕はリストカットや煙草の火を躰に押し付ける自傷行為をしてしまう。そうすると肩の荷がすっと下りて解放感すら味わう。お尻をゴムホースで叩かれても、それが終わればお母さんは優しくなるじゃない。その時の安心した記憶は今でも強烈であるからして、特に痛みや苦痛というものはある意味僕の大好物になってしまったのだ。不本意ながら。

 
 痛くない、苦しくない、そんな世界はどこかにあるのだろうかね。


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