3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;
2016年03月06日(日) BPD考察。
BPD考察(葛野うさぎのケース)。
■歯磨き完了(連続60日目達成)。
■晩ご飯:豚ロースのにんにく焼き・もやしとしめじのマジックソルト炒め・白菜とえのきのお味噌汁・苺。
今日も絶賛ゲリラ下痢。昨日食べたもので繊維質が多いものは未消化のまま排泄してしまっている。頻度も高く体力を激しく消耗してしまうので、明日内科を受診した方が良いのだろうが、インフルエンザが猛威を奮っているこの時期に行ったら院内感染を防ぐことは難しいのではなかろうかという懸念が悩ましい。
僕が17歳の時にBPDであろうと診断されてから今に至るが、僕は何故BPD的なのだろうか、そして何故最近はBPD的要素が薄くなってきたのかを考えてみたのである。
僕が思うに、この疾患を一言で言い換えてしまうと、『愛情不足』疾患なのであろうと思うのだ。
そしてそれは、大人が思い描くような愛ではなく、『子供が望むような愛』である。それはつまり、子供が親に求めるそれと殆ど変わりのないものであるが、そういったものを17歳の女の子が求めるあまり、血を流したり時には命を賭そうとしたりと、周囲の人並みに育った他人たちからしたら迷惑でしかない行動になる。
自分の過去を思い出してみると、本当に幼稚で子供じみているが、だが、本当に必死であるし命がけであったと思う。
『見捨てられ不安』と言われるものは、『見捨てられない安心』が欲しいということなのだと思われる。
『試し行為』や『自傷行為』と言われれるものは迷惑な問題行為なのであるが、例えそんなことをしても自分を捨てないでくれるか否かを確かめる確認行為であった。
やはり言及せざるを得ないのであるが、これらのことは本来、親が適量の愛情を与えてやれればBPDからは程遠くなるだろうと思う。
BPDになってしまった以上、親が与えてくれるはずの愛情を他の人間から何としても頂かなければならない。そう考えると、色々と逸脱した行動をとっていたBPD全盛期の頃の自分に多少の説明がつくのである。
旦那氏と結婚して8年が経つ今、自傷行為もしないし、何かに取り憑かれたように自殺を企てる毎日もない。目下の悩みは明日の御飯のメニューはどうしよう、だとか、(今更であるが)体力がなくて燃費の悪いこの体質をなんとかしたい、だとか、兎に角人並みの主婦が悩むようなことがメインである。
彼は僕に、実の親が僕にしてくれなかったことを含め、そしてそれ以上のことをやってのけてくれた。
つまり、異常に愛情不足状態だった僕に、親なんかサクッと超えて、僕に必要なものを必死に与え続けてくれた。
愛情不足疾患ならば、それを与えれば良いのではあるが、言うほど簡単なことではないから、何人も脱落者が出た。それは仕方がないことであろうし、その人達にも感謝し尽くせない気持ちを抱いてはいる。
僕のケースでは、夫のような人間に出会えたことが、回復への道順である。
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