綿霧岩
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役者は台詞をしゃべる。 何が「良い」のかも明確に定義できないままに、「良い」状態で台詞が身体から出る状態を探す。考え得る限りの可能性を探して探して探す。 この妙な作業はなんだろう。
頭とからだをこねくり回し、ひっくり返したりしながら、ある時は止まり、休め、忘れたりしながら、自分以外の人や物事の影響を受けながら、自分の形をした何かを作っていくのだ。 主観的に、客観的に、「良い」状態を目指して。「良い」とは何なのか言葉にできないまま。 自分が作品であり、自分が作り手である。 これは一体なんなんだろうか。 役者のやっていることは、人にとっての人生そのものと同じではないか。 役者の仕事というのは、とってもとっても贅沢だなあ。
と昨日はそんなかっこいいことを思った。 今日はもうどうしたらいいのかさっぱりわからなくなった。 役者の仕事云々などと考えている余裕がない。途方に暮れている。 感情というものは、演技においても人生においても、とかくやっかいな代物である。 感情は頭と離れたところにあるのかな。
しかし私は感情的になっているわけではない。 感情とは何かがわからないだけだ。
しかしこれは考え方そのものが偏っているのかもしれない。 役を演じるときに、一人の人物のことを細かく分類して分析しようとしすぎているのかもしれない。 もっとおおまかな捕え方が必要なのかな。 今日はこんなことを思った。
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