豆知識です。
石川県ではタイトルのような式典が毎年この時期に催されます。今年は25日に開かれました。
石川県出身の戦没者は32,838人に上るそうですが、今の金沢市の人口がおおよそ40万人強であるということから比較すると、その犠牲の大きさがよく分かります。
式が行われた金沢市野田山の県戦没者墓苑の忠霊塔には、その亡くなった方々の遺骨が陶器の骨壷に入って保存されています。
骨壷には、一人一人のお名前と、戦死したときの階級、叙勲された勲章の名称などが書かれた紙が貼ってあります。
当然のことながら、戦死した方のほとんどは、下の方の階級、つまり上等兵や兵長、伍長だった方です。
きっとそれらの人たちは、赤紙をもらい、死ぬのは嫌だと思いつつ、それでも家族や祖国のことを思い、戦地へと旅立っていったのでしょう。
古ぼけた大きな木の棚にずらりと並んだ骨壷を見ていると、昔この国に戦争があったのだということの実感が湧いてきます。
ところで、県戦没者墓苑で管理人をしていらっしゃる方は、随分ご高齢の方なのですが、戦時中にサイパンへ兵隊として赴いた経験をお持ちになっています。
サイパン島の戦闘に加わって生きて帰ってきたこと自体が奇跡ですが、そんな方は近くにいらっしゃるということも、また奇跡的なことです。
どんな目的も、戦争を肯定する理由にはなりえません。
ですが、過去に日本という国を守ろうとして命を捨てた方々がいたということは事実です。
そのことに対しては、感謝する他ないのでしょう。
昨今、憲法9条の改正が話題になっています。
改正の是非を自問自答するとき、そんな慰霊式や管理人のことが考えるヒントになるかもしれませんね。
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