うさぎのつぶやき
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なにをやっても うまくいかない時がある する事なす事みな裏目 おまけに くるぶしなんかを打ちつけたり・・・ それはネ 最初の歯車が かみ合わせを間違えただけ そっと目をつぶり フッと肩の力を抜いてごらん それから両の手を広げ 指先もパーをして 大きく 大きく深呼吸 すこ〜し ほんの少しだけ タイミングをかえてみよう きっと うまくいくよ・・・
xxxxxxx<2003.03.11の徒然日記より>xxxxxxx ◆ランドセルの思い出
暫くお休みしている間に「ひな祭り」もおわり3月も半ばにさしかかろうとしています。 もう半月もすれば、あちこちで桜情報が繰り広げられることでしょうね。 桜と言えば、やはり入学式でしょうか・・・。 ピカピカの新一年生がブカブカの制服に身を包みランドセルを揺らして登校する姿は、 なんともかわいらしく、ほほえましいものです。
そのランドセル、私にはちょっとした思い出があるのですが、今回はその事にまつわるお話を ひとつすることにしましょう。
数年前、私は体調を崩して九州の実家で転地療養をしていたことは、以前何度かお話しましたので、 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、その時の事。 実家では、朝日新聞を購読していましてその家庭欄“ひととき”に駄文を投稿したことがありました。 お題は、「ランドセルの思い出」というものでしたが、採用されることになったのです。 こうやって、HPを作り皆様にいろんなお話をしているうちにその文をご紹介したくなりました。 そこで、朝日新聞に問い合わせましたら、投稿作品の著作権はその作者にあるというお返事を 頂きましたので早速ご披露することにしました。
『ランドセルの思い出』 九日付けひととき「紺色のランドセル」を読み、思わず苦笑してしまった。 投稿された方と同い年の私もまた、同じような経験をしたからだ。 小学校入学を間近に控えたある日、両親と一緒に都城の祖母のところへ行った私は、 伯父にランドセルを買ってもらうことになった。
当時羽ぶりのよかった伯父はデパートから五つほど見本を持ってこさせ、庭先の縁側に 並べさせた。 色はもちろん「赤」ばかり。でもその赤もいろいろ違って、ツヤがあったり、そのころ とてもはやっていた花柄だったり。 私は、何の迷いもなく、大きな花の描いてあるのを指さして、「あれがいい」とこたえた。 ところが大人たちの返事は「何で?」「えー?」だった。 伯父に至っては、「こっちのほうがいいがね」と一番つまらなさそうなのを手にとって 見せてくれた。 全く大人たちときたら、両親も、デパートの人も、好きなのを選べと言っておきながらである。 親せき中から注目されていたお利口さんの私は、結局自分の意見を押し通すことができず、 ツヤもなければ花もついていない、一番上等でいちばんつまらないランドセルに「ありがとう」と 言わなければならなかった。
入学して三年生頃までは、ピカピカ花付きのランドセルが羨ましくてどうしようもなかった。 紺色ではなかったけれど、ほかの人と違っていたわけではないけれど、 「親の心子知らず」というが、子の心もまた親は知らないことがあると、実はそのころから 漠然と感じていたような気がする。 1997・2・21付け 朝日新聞(家庭欄)“ひととき”より
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